あけましておめでとう。昨年末書いたように、もうしばらく古文の話を続けたくなむ。
『古代日本語文法』によれば、係助詞ゾ・ナム・コソを用いた表現での意味の違いについてはまだはっきりしたことはわかっていないという(「『ぞ・なむ・こそ』の表現価値」、p. 187)。しかし、古文をある程度以上読んでくると、やはりそれぞれがそれぞれなりに「適切な」箇所で使われているという感覚を誰もが抱くようになるのではないだろうか。それは現代日本語で、たとえその人自身が使用基準を理論立てて説明できない場合でも、ハやガの使い分けを間違えることがないのと同様の言語感覚だ。
だから難しいのはその使われ方をどう説明するか、ということなのだが……。
たとえばナムについて(枕草子や源氏物語だと「ナン」のほうが多いような感じなんだけど、辞書では「ナム」の形で載ってるのでそれに倣うことにする)。これも古文を読んでいる人なら「ここで使うのは自然だ」「ここにあったら変な感じがする」という感覚までは身につくと思う。ところが、感覚を身につけるところまではいきながら、古語辞典を開けばその意味についてはおそろしく頼りないことしか書いていない。
たとえば、旺文社の『全訳古語辞典』ではこんなふうである。
- **なむ ナン
-
(係助)〔「なん」とも表記される〕まさにそれであると強調する意を表す。
- 主語・目的語・連用修飾語・接続語などに付く。 〔竹取〕竜の頚の玉「竜(たつ)の頚(くび)の玉をえ取らざりしかばなむ殿へもえ参らざりし」[訳]竜の首の玉を手に入れられなかったそのことでお邸(やしき)へも参上できなかったのだ。[文法]「え取らざりしか」「え参らざりし」の「え」は副詞で、下に打消の語(ここでは「ざり」)を伴って不可能の意を表す。 〔伊勢〕2「その人かたちよりは心なむまさりたりける」[訳]その人は顔かたちよりはとりわけ心がすぐれていたのだった。 〔伊勢〕9「橋を八つ渡せるによりてなむ八橋(やつはし)と言ひける」[訳]橋を八つ渡してあることでそれで八橋というのであった。
- 文の結びの「ある」「言ふ」「侍る」などを省略した形で余情を表す。 〔源氏〕蜻蛉「わたくしの御志も、なかなか深さまさりてなむ〔侍る〕」[訳]私(=時方)個人としての(浮舟(うきふね)の侍女であるあなた方へ)お寄せする気持ちも、(浮舟の死後)かえって深さがましておりまして。 〔源氏〕桐壺「かかる御使ひの、よもぎふの露分け入り給ふにつけても、いと恥づかしうなむ〔侍る〕」[訳]このような(おそれ多い桐壺帝の)ご使者が、雑草の生い茂った所の露をわけておいでくださるにつけても、たいそう気がひけまして。
- 「なむ」を受けて結びになるはずの用言に接続助詞が付いて、さらに次に続く。 〔土佐〕「年ごろよく比べつる人々なむ別れがたく思ひて」[訳] この数年来たいそう親しくつきあってきた人々は特別に別れがたく思って。 〔大和〕3「…となむいへりけるを、その返しもせで年こえにけり」[訳]…とだけ言ったのを、その返歌もしないで年が改まってしまった。
[接続]体言、活用語の連体形、副詞、助詞に付く。連用修飾語と被修飾語との間で用いるときは連用形に付く。
[参考]上代には「なむ」に相当する語として「なも」があった。(1) は「ぞ」「や」「か」と同じように、文中に用いられると、文が活用する語で終わるときには、連体形になる。係り結びの法則である。「なむ」は「…だよ」と相手に念を押す気持ちを含んでいるので、会話文に用いられることが多い。引用句の中には使われるが、和歌にはほとんど使われない。「ぞ」とはこのような点で相違がある。
旺文社 全訳古語辞典第三版
「まさにそれであると強調する意を表す」「余情を表す」「相手に念を押す気持ちを含んでいる」とな。だがこれでは係助詞ゾ・コソや終助詞カシとの違いが不明である。もし同じ意味ならば、交換可能だということになる。交換可能なのか? と聞かれれば、古文をやっている人はふつう可能じゃないと答えるだろう。交換可能だ、と言う人がいたら……えーと、以下に述べることにとくに意味はないと思うので、その、ご縁がなかったということで、以下は読まなくて結構です。
交換可能でないとすると、ナム固有の表現価値とはなんなのか。
大野晋は『係り結びの研究』において、平安時代のナムについて「私は以前、ナムを『侍り』にほぼ相当すると解説したことがあった」と書いている (p. 225)。しかし、「……になむ侍る」という表現が存在する以上、「侍り」そのものと見なすことはできないとも自ら述べている (p. 227)。しかし結局、同書ではナムは丁寧語が持つような「礼儀のわきまえ」を表明するということで落着している (p. 241)。ナムについて論じたこの節は、全編通じて明晰な同書の中で正直唯一歯切れの悪い箇所になっていると思う。
ナムは敬語表現なのだろうか。敬語だとするとうまく説明できない用例がいくつかある。たとえば『枕草子』の最終段、中宮定子が藤原伊周より草紙を贈られて清少納言に「これに何を書いたものだろうか」と相談する、そこで中宮が言った言葉。
宮の御前に、内の大臣のたてまつり給へりけるを、「これになにを書かまし。上の御前には、史記といふ書をなん書かせ給へる」などのたまはせしを、「枕にこそは侍らめ」と申ししかば、……
池田亀鑑校訂『枕草子』岩波文庫、p. 348
中宮は女房の清少納言になんの遠慮もかしこまりも必要ないはずだ。あるいはこれは帝に対する敬意を示すのか。それは帝に対する「せ給へる」という最高敬語表現で果たされている。主従ながら丁々発止のやりとりで才気を見せつけあうような定子と清少納言の間柄で、ここだけ「礼儀のわきまえ」を含む表現を使うというのはそぐわない気がする。
もうひとつ。『係り結びの研究』にも挙げられている例だけど、『源氏物語』から。紫上が明石の姫君の入内について、姫君の母である明石上も同行させてあげてはどうかと源氏に進言する。源氏はなるほどと思いそれを明石上に伝える。
「此折に添へたてまつり給へ。まだいとあえかなるほどもうしろめたきに、さぶらふ人とても、若々しきのみこそ多かれ。御乳母たちなども、見およぶことの、心いたる限りあるを、みづからはえつとしもさぶらはざらむほど、うしろやすかるべく」と聞こえ給へば、いとよくおぼし寄る哉、とおぼして、「さなん」と、あなたにも語らひの給ひければ、いみじくうれしく、思ふことかなひ侍る心ちして、人の装束、何かのことも、やむごとなき御ありさまにおとるまじくいそぎ立つ。
「藤裏葉」新日本古典文学大系『源氏物語 三』、p. 189
これも、源氏は明石上に遠慮する立場にはない。ナムは多く女房や使者が貴人に何らかの申し伝えをする文脈で使われるので、たいていの場合は「礼儀のわきまえ」と解釈して矛盾は生じないが、それでもこのような例があることは無視できない。
- 「これになにを書かまし。上の御前には、史記といふ書をなん書かせ給へる」などのたまはせしを、
- 「さなん」と、あなたにも語らひの給ひければ、
- 渡守に問ひければ、「これなむ都鳥」といふを聞きて、(伊勢・9)
- 袂より離れて玉をつつまめや これなんそれとうつせ 見むかし(古今・425)
- そのよしうけたまはりて、つはものどもあまた具して山へ登りけるよりなん、その山を「ふじの山」とは名づけける。(竹取)
こうした例をまんべんなく説明できる解釈が必要なのだが、それはどういったものになるのか。平安時代の古文をいくらか読んできて、僕はナムについては今のところ次のように考えるといいんじゃないかと思っている。それは、
- 話者にとって自明で聞き手にとって自明でない事柄について述べる際に自然と表れる表現。
という説明だ。「自明」というのはちょっと堅苦しいので「話者は知っているが聞き手は知らないことを述べるときに使われる」と言ってもいいのだけど、知っての通り話者の心理について述べる際に使われることも多いので、自分の心理を「知っている」というのはなんか違和感があってこのようにしている。「話者にとって既知(旧情報)で聞き手にとって未知(新情報)」と言ってもいいかな。
この説明を思いついてから、ナムの使われている文に出会ったらそれが当てはまるか何度か試してみてるんだけど、今のところうまく当てはまっていると感じている。
すでに述べたように、ナムは貴人に対する伝言など下→上という流れの情報伝達の際に使われているので、そこに敬語意識に近いものが含まれているようにも一見思われるのだが、これは、貴人は人を介して外部の情報を得るので、外部で得た情報を貴人に伝えるというシチュエーションがしょっちゅう発生しているということから来ているのではないか。そこでは、従者は自分が得た、そして貴人がまだ知らない情報を、貴人の前で述べる。「となむ」という連語が多く出てくるのはそういう事情によると考えられる。
ナムが敬語や丁寧語ではなく、上記定義のような性質の語であるとするなら、先に引いた枕草子や源氏物語の例も問題なく説明できる。
定子はもらった紙の話を清少納言にする。その時に、自分が知っている情報を参考として付け加える。帝がその草紙に『史記』を書いたということは、定子は知っていて、清少納言はまだ聞いていないことである。だからナムが使われた。
紫上の意見を源氏が明石上に伝える。源氏はすでに紫上の意見を聞いている、明石上はまだ聞いてない。だからナムが使われた。
「あの鳥はなんですか」と問われた渡守は、自分の知っている情報を、問うた人々に提供する。「これなむ都鳥」と。当然ナムが使われる。
語り手は、物語の最後に「富士の山の名はこのようなところから来ているのですよ」と聞き手に由来を明らかにする。語り手の持つ情報を、聞き手に提供することから、ナムが使われた。「……なむ……ける」という表現が多いことは『係り結びの研究』にも指摘されているが、その理由も、物語の「語り手が聞き手に述べる」という性質上自然なものと考えられる。
ナムが話者の気持ちを述べるときに表れるのは、自分の気持ちは話者にとってはむろん自明のことで、それを聞き手に知らせることからくるのだと考えられる。
ナムは歌には用いられないことが知られているが、これも上記の説明だと当然のことになる。なぜなら、歌とはその定義からして「心に思ふ事を、見るもの聞くものにつけて、言ひいだ」したものだからである。そういう前提であることがわかりきっているので、わざわざナムを使う必要が無いのだ。上記の古今の例は歌にナムがある珍しい例だが、これは引用だし、じつはひとつ前の歌の返歌である。前の詩で詠われている「浪の玉」を持ってきて見せてくれ、と歌っているのである。だから「浪の玉」を見せるとき、前の歌の詠者は「これなむそれ」と言うだろうというわけである。
ちょっと理論武装して長くなってしまった。
平安時代に使われている用例に限っていえば、だいたいこの説明でいいんじゃないかと思ってるのですが、どうでしょう。上代の使われ方や宣命での用例については検討してないし、あるいは平安時代になってここでいう形に変化した、その原型の意味があるのかもしれないけれど。
なにはともあれ、今年もこんな感じで自由にやっていくのでよろしくね。