前回の続き。
宣明暦をその通りに運用している限り、晦日の晩や朔日の明け方に月が見えることはないように思われる。
しかしそうなると、『丁寧に読む古典』にも挙げられている、後撰集にある「九月のつごもりに」詠んだという貫之の歌「長月の在明《ありあけ》の月はありながらはかなく秋は過ぎぬべら也」は解釈しづらい。九月晦日の未明(正確には十月朔日の明け方)に月が見えていたのか?
気になったのは、宣明暦計算の基準である長安(東経108度)と京都(東経135度)の時差(約1時間50分)だが、二時間弱の時差が月の見える見えないに影響するだろうか。また、仮に見えたとして、あっという間に見えなくなる細い月を、「有明の月」などと呼べるだろうか。二時間弱の時差は、進朔限がその分切り下げられていることに相当するわけだから、これは長安よりも晦日未明の月は残る可能性が高いことにはなるはずなんだけど、このへんは自信がない。
それとも、その場に月が出ていたのでこの歌を詠んだという前提がやはり間違っているのだろうか。
(続く。)
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