2010-01-28

源氏物語の初巻桐壺は、主人公光源氏の母桐壺の更衣の寵愛の話より始めて、源氏の出生、周囲の嫉視による桐壺の苦難、桐壺の死、桐壺の母の嘆き、帝の悲嘆、源氏の幼年時代、桐壺に酷似せる藤壺の更衣の入内、藤壺と源氏との関係、源氏十二歳の元服、同時に源氏と葵上との結婚、などを物語っている。しかるにそれを受けた第二巻帚木の初めはこうである。

光源氏、名のみことごとしう、言ひ消たれ給ふ咎おほかなるに、いとどかかる好色事《すきごと》どもを、世の末にも聞き伝へて、軽びたる名をや流さむと、忍び給ひける隠ろへ事をさへ、語り伝へけむ人の物言ひさがなさよ。さるはいといたく世を憚かり、まめだち給ひけるほどに、なよひかにをかしき事はなくて、交野の少将には笑はれ給ひけむかし。

この個所はどう解すべきであるか。「光る源氏、光る源氏と評判のみはことごとしいが、たださえ欠点が多いのに内緒事までも言い伝えた世間はまことに口が悪い」と解すべきであろうか。もしそうであれば口の悪い世間の言い伝えはその「評判」のうちにははいらず、従って世間の評判のほかに別にことごとしい評判がなくてはならぬ。「評判のみはことごとしいが、世間には口の悪い評判がある」とはまことに解しにくい解釈である。それでは「名のみ」を文字通りに光源氏という名の意味に解して、「光源氏という名は光るなどという言葉のためにいかにもことごとしいが、それは名のみで、実は言い消されるようなことが多いのに、なおその上内緒事まで伝えた世間は口が悪い」と解すべきであるか。そうすれば前の解のような不可解な点はなくなるが、その代わり「さるは」とうけた次の文章との連絡が取れなくなる。なぜなら右のように口の悪い世間の評判を是認したとすれば、次の文章で源氏をたわれた好色人でないとする弁護と矛盾するからである。で、自分は次のごとく解する。「光源氏、光源氏と、(好色の人として)評判のみはことごとしく、世人に非難される罪《とが》が多い。のみならずこのような好色事を世間の噂にされたくないときわめて隠密に行なった情事をさえ人は語り伝えている。世間はまことに口が悪い。しかしそれは名のみである、濡れ衣である。というのは、源氏は世人の非難を恐れて恋をまじめに考えたために、仇めいた遊蕩的なことはなく、交野の少将のような好色の達人には笑われたろうと思われる人だからである。」――自分はかく解する。が、この解釈いかんにかかわらず、この書き出しは、果たして第一巻を受けるものとしてふさわしいであろうか。

我々は第一巻の物語によって、桐壺の更衣より生まれた皇子が親王とせられずして臣下の列に入れられたことを、すなわち「源氏」とせられたことを、知っている。またこの皇子がその「美しさ」のゆえに「光君」と呼ばれたことも知っている。しかし物言いさがなき世間の口に好色の人として名高い「光源氏」については、まだ何事も聞かぬ。幼うして母を失った源氏は、母に酷似せる継母藤壺を慕った。しかしまだ恋の関係にははいらない。我々の知るところでは、光君はいかなる意味でも好色の人ではない。しかも突如として有名な好色人《すきびと》光源氏の名が掲げられるのは何ゆえであろうか。

和辻哲郎「源氏物語について」「和辻哲郎全集第四巻所収『日本精神史研究』」、岩波書店、pp. 130-131(強調部は原文傍点。)

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