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2012-04-20

ラ変「持たり」の由来

二三日内《うち》にさぶらひ、大殿《おほとの》にもおはするお《(を)》りは、いといたく屈《く》しなどしたまへば、心ぐるしうて、母《はゝ》なき子《こ》持《も》たらむ心《(ここ)》ちして、ありきも静《しづ》心なくおぼえ給《(たまふ)》。(源氏物語「紅葉賀」新日本古典文学大系)

こと人の子《こ》持《も》たまへらむとも、問ひ聞き侍らざりつる也《(なり)》。(源氏物語「東屋」新日本古典文学大系)

「持たり(原文「もたり」)」[ラ変]は古語辞典に載ってるけど、「持たまへり(原文「もたまへり」)」は載ってないね(『旺文社全訳古語辞典』第三版と『岩波古語辞典』補訂版で確認)。載ってないけど、たぶん「持たり」の尊敬語が「持たまへり」であろう。ということは、「持たり」は動詞「持つ」+完了存続の助動詞「り/たり」の縮まった形だろうと思われる。意味的にも同じでいけるよね。

で、あらためて「持たまへり」を見て、なんでこうなったのかを考えると、「持ち」の末尾「ち」のタ行と「たまへり」の頭のタ行とがくっついたんじゃないかと想像できる。

ということは、「持たり」のほうに起こったのもそういうことだったんじゃないかと考えられないかね。つまり、辞書には「『持ちあり』の転(旺文社全訳古語辞典)」「《持チ有リ》の約(岩波古語辞典)」とあるけども(『古代日本語文法』もそう言ってる p.78)、これは「持ちたり」の転なんじゃなかろうか。助動詞「り」の起源の説明からすれば、「持ち+あり」の転こそが「持てり」なわけでしょ。それなら「持たり」になったのにはそれとは別の説明をしないと。「たり」は四段動詞に付いてもいいわけだし。さらにふみこんで想像すると、発音も「モッタリ」に近かったかもしれない。まあ空想だけど。

2010-01-14

月を隠す

眠れないので適当に本を取ってめくっていたら『丁寧に読む古典』にこんなことが書いてあるのを見つけた。

太陰暦(陰暦)は、本来、月球(歴月(ママ)と区別するために中国語から借用しました)の盈《み》ち虧《か》けに基づいています。しかし、盈ち虧けの周期は 29.53 日、十二回で 354.36 日ですから、毎年、十一日ほど足りなくなるので、ほぼ三年に一度、閏月を設けて調整されていました。四月のあとなら閏四月を挿入して、その年は十三ヶ月になります。したがって、歴月の日付と月球の満ち欠け(ママ)との間にかなりのズレが生じるのはふつうのことでしたが、月球が隠るはずのツキゴモリの日に月球が見えるのは不都合なので、歴月の末日を指す語として、*ツキゴモリの[キ]を脱落させて月球のイメージを消したツゴモリが形成されました。

新月が姿を見せるときが*ツキタチ(月立ち)ですが、右と同じように、歴月の初日がその日にあたるとは限りません。というよりも、ズレルのがふつうだったので、このほうはツキの[キ]を[イ]に変えて月球のイメージを消し、ツイタチが形成されました。

小松英雄『丁寧に読む古典』、笠間書院、2008年、pp. 42-43

買って読んだ当時は「ふーん」と読み流していたが、宣明暦について調べた今の自分には、ここはたいへんあやしく思われる。

この説明は、月球(この言葉はたしかに便利なので使わせてもらう)の運行周期と太陽の運行周期とに生じるずれを、暦月(引用には「歴月」とあるが、意味からすれば「暦月」だろう)の日付と月齢とに生じるずれと混同している。そして、暦月の日付と月齢は、太陰太陽暦ではずれないのだ。今年は元日が日本で有史以来はじめて満月になった年だという話がニュースにあったが、じつはこれは明治の太陽暦採用以来ということで、太陰太陽暦が用いられていたそれ以前ではそもそも月の第一日はつねに必ず新月だったからである。

さて、厳密に考えれば、月球の満ち欠けの周期(朔望月という)は一昼夜の長さのきっちり整数倍にはならないので、朔の時刻がその日の夕刻以降になってしまい、晦日となる前日の未明から早朝にかけて月が昇ってきたまま夜が明けるということは起こりうる。ところが、宣明暦では晦日に月が見えるのを避けるために、そういうときには「進朔」といって、わざわざ月の第一日を一日先に延ばしてしまうという処理を施していた(内田正男『日本暦日原典』第四版、雄山閣出版、1992年、p. 497)。そうするとどうなるかというと、その日の夜に朔が起こるわけだから、当然その晩は月は見えない。だからこの晩を「月隠り」としたほうが人間の感覚からすれば自然だというわけである。

つまり、現実には、ツゴモリが「月隠り」ツイタチが「月立ち」であることに当時の人々はきわめて意識的であったし、たとえ形式上のことであっても(進朔の処理は暦の計算上は行なわなくてもなんの問題もなく、むしろ計算の手間がひとつ増えているだけである*1)、その原則が崩れそうなときには暦に修正を加えてまで月が見えなくなる日を晦日にしていたのである。

だからツイタチやツゴモリの音変化が、「ツキ」という語の存在感を意図的に消すためであったという説は受け容れがたい。

そう思ってこれを書き、ますます目がさえてしまった。

*1
しいていえば、進朔は、午前零時を区切りとする暦学上の一日と、日の出を区切りとする生活上の一日との感覚のずれを解消させるための処理といえる。