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2013-08-16

和歌の字余りについて

前回の続き。

五七五七七と言われるけれども、和歌・短歌には字余りという現象があって、5字ということになっている初句や第三句がときとして6字になったり、7字といわれる第二・第四・第五句が8字になったりすることがあるということはよく知られている。

ちなみに5字、7字といっているけど、これは正確には字数ではなく前回言ったモーラ数である。念のため。5モーラのところが6モーラになったり7モーラのところが8モーラになったりすのが字余りである。現代の短歌は破格に対して寛容なので、五七五七七も「入れたい言葉が入らなければ仕方ないので余ってもよい」程度のガイドラインにしかすぎないと思われているのかもしれないけれど、もしかすると「チョコレート」がオーケーなら6字でいいってことじゃない、といった字数とモーラ数の混同がそういう傾向を後押ししているという面もあるかもしれない。……が、「チョコレート」は5モーラなので初句に使っても字余りではないよ。

余談だがモーラという語はあまり膾炙した言葉じゃないのでちょっと使いにくいね。「拍」とかのほうがいいのかな。まあいいや。世間の多くの説明ではモーラと言うべきところを音節と書いている、というのは前回書いた通り。

さて、この字余りというのは現代人からするとただの規則から逸脱した例外にしか見えないのだが、かつてはそうでなかったことがわかっている。

まず「字余りしている句は句中に必ず母音の字が含まれている」というのが国学の時代から知られていた。宣長『字音仮字用格』(1176 1776 追記: 刊行年間違っていたので訂正しました)はじめ、富士谷成章も同種の指摘をしていたらしい(未読だけど)。古今集の「としのうちに」などの例である。この原則は古今集の頃にはほぼ完全に当てはまっていて、新古今の頃だとそうでない、単に余ってるとしか言いようのない字余り句がちょくちょく見られるようになっている。とはいえ、和歌の字余りを説明するいちばんの原則がこれである。百人一首の歌はぜんぶ当てはまってるんじゃないかな。

句中の母音字が字余りの条件だというのなら、それはなにか古代の発音の流儀に関係しているのではないか?ということで、字余りと古代の音節との関係にまつわる研究が昭和になっていろいろ発表された。

それらの研究の鍵になる発想は、要は「語中の母音音節が直前の音節と一体化して発音された」という仮説だ。それで、「直前の音節と接触」して「不安定な状態に」なるとか(橋本進吉)、「先行音と一緒になってシラビーム的な一音節を構成する」(桜井茂治)などということが主張された(ただ名前を挙げたどちらもまだ直接読んでないので悪しからず)。

この「古代語はシラビームだった」というのはちょっと前の日本語関連の本にはよく出てきて、なんだよそれとか思うのだけどちゃんと説明してあるいい本はまだ見つけていない。が、直前の音節と一緒になって融合してしまうという話で、まあ字余りの問題を片付けるのに便利だったので人気だったのだろう。

しかし、これらの「母音融合説」は「字余りしてるけどこの説なら字余りじゃないことになるよ」というだけで、和歌の字余りにまつわる現象をすべて解決してくれるわけではない。たとえば、字余りは起こる場合と起こらない場合とがある。「こぞとやいはん」「ことしとやいはん」は文の構造としてはまったく同じだが、後者でのみ字余りが起きている。じゃあ字余りは任意だったのか、となるとそうでもなくて、じつは万葉集の結句はほとんど義務的に母音字を含む句が字余りになっている、といった現象がある。

古文の文法の説明で以前から僕が(勝手に)重視しているのが、「その説明で古文が書けるか」だ。母音が融合するとかシラビームだとかは結果の説明には使えるが、それにしたがって作歌すると万葉集や古今集と同じような調子になるかというと、どうもそれだけでは足りない。

それで、字余りの原則は和歌の詠唱法にもとづく必然だったとするのが、前回も紹介した坂野信彦の『七五調の謎をとく』(1996、大修館書店)と『古代和歌にみる字余りの原理』(2009、星雲社)である。上記に書いた字余り研究の概要は後者の「字余り研究小史」によっている。

うう、また長くなったので続く。

2013-07-17

音節とモーラ

僕がいつも読んでいるブログのひとつに、イジハピ!があって、中の人の深沢さんは技術系だけどよく日本語についての記事も書かれています。こないだの記事「リニューアルかリニューワルか」にコメントをしたのだけれど、そのやりとりでちょっと面白い話になってきたと思ったのでそこから思いついたお話をひとつ。もはや古文の話ですらないけど、日本語史に関わることではあるので一年ぶりにここで。もとの記事の本題だった表記の話とはぜんぜん関係ないのでコメント欄では気が引けるしね。いずれ書いておきたいことではあったんだ。といっても目新しいことではなくて、僕が読んできたなかでわかったことのまとめでしかないけれど。

深沢さんは「コピー」「シュガー」は2音、「タイマー」は3音とお書きになるのだけど、これは日本人ではちょっと珍しいタイプじゃないかな。単語を何音と数えるときには、「コピー」「シュガー」は3音、「タイマー」は4音だと言う人のほうがまだ一般的じゃないかと思う(調査したわけではないので推測だけど。なぜそう推測するかは以下に)。

じゃあこの「何音」というのはいったい何を数えているのか。

僕の挙げた後者の数えかたは、短歌や俳句で文字を消費していくときの数えかたで、交通安全標語などを書かせれば、日本語話者は小学生でもこの数えかたで五七五の標語を作る。この区切り単位は国語学ではよく「音節」といわれるのだけれど、言語学では「モーラ(拍)」という。音節とモーラはとても近いので、日本語に関する本にはこれを区別せずに音節と書いているものも多いけれど、たいていの場合はそういうときに言及しているのはモーラのほうである。「山田(ヤ・マ・ダ)」「コピー(コ・ピ・ー)」「神戸(コ・ー・ベ)」「会社(カ・イ・シャ)」は3モーラ、「高橋(タ・カ・ハ・シ)」「タイマー(タ・イ・マ・ー)」「東京(ト・ー・キョ・ー)」「関東(カ・ン・ト・ー)」は4モーラである。

モーラというのは、「詩や発話における長さの単位」をいう(窪園、1999)。つまり、それぞれのモーラに対してだいたい同じような時間を割り振って単語が発音されるということだ。日本語では、長音(伸ばす音)や撥音(はねる音)にもモーラが割り当てられているから、「広島(ヒロシマ)」と「東京(トウキョウ)」を手拍子を打ちながら同じリズム、同じ長さで発声することができる(これは英語話者には難しいらしい)。ふだんの発話だけでなく短歌や俳句も音をモーラで数えている。もっとも、モーラなんて言葉をを知らなくても(日本語話者は)日本語を話せるし短歌や俳句も作れるわけだから、これはもちろんそういう現象を観察した結果に学者さんがあとから名前を付けたものである。

これに対して、深沢さんの数えかた(?)が言語学でいうところの「音節」、英語でいうシラブルだ。音節というのは「母音を中心とする音のまとまり」(窪園、1999)である。音節では日本語の音声でいう長音や撥音は独立した単位とは数えない。「コ・ピー」「神戸(コー・ベ)」「東京(トー・キョー)」「関東(カン・トー)」は2音節、「山田(ヤ・マ・ダ)」は3音節、「高橋(タ・カ・ハ・シ)」は4音節になる。それから二重母音もひとつに数える。「タイマー(タイ・マー)」「会社(カイ・シャ)」は2音節だ。

英語では、語の発音の区切りも、語の「長さ」も音節単位であるのに対して、日本語で単語の「長さ」と言えばモーラで計るのがふつうだ。

さて、そうなると「タイマー」を3音とする深沢さんの数えかたはじつは両者折衷なのだけど、二重母音は2つに独立してカウントする音節式、あるいは長音を数えないモーラ式といったところだろうか。深沢さんは翻訳をされているそうだから、日本語の音の区切り意識もちょっと音節ふうになってるのかもしれない(笑)。けれど長音を数えなければきちんと日本語で短歌を詠むことはできない。

そういえば、歌手の一青窈が俵万智に教わりながら短歌に挑戦する、『短歌の作り方、教えてください』(角川学芸出版、2010)という本があるのだけれど、ここで一青窈が小さい「ょ」や「ー」「っ」を一文字として数えるのか数えないのかよくわからないんです、といったようなことをしょっちゅう言うのでびっくりした。現代語はそこが怪しい段階にまで変わっちゃったのかあ……、と思ったのだけど、あとで聞いた話では彼女は幼少期は台湾で育ったのだそうで、それでモーラによる数えかたがぴんとこなかったのだね。

閑話休題。音節は、英語では発音を区切る単位であり、またアクセント位置を決める単位でもある(英語だけの話をしているかぎり、モーラという概念は不要だ)。じゃあ日本語は発音をモーラ単位で区切るから、アクセントの位置もモーラ単位かというと、じつはこれがそうとは断言できないのがややこしい。モーラ単位で考えて多くの場合は説明が付くのだけれど、日本語標準語ではそれだけでは上手く説明できない現象が残るという。煩を避けてくだくだしい説明は省くけれど、アクセントの高低の位置が決まる法則は、モーラだけでなく音節区切りにもとづいた位置が大事な役目を担っている。ここで挙げている説明や例はすべて『現代言語学入門2 日本語の音声』(窪園晴夫、1999)という本にもとづいているので、このへんについて詳しく知りたければ同書をご参照くださいな。

というわけで、現代の日本語標準語は、モーラを基準としつつも音節に従う部分もあるというダブスタな(笑)音声構造をしている。奈良時代よりもっと以前の原始的な日本語では、単語に二重母音や撥音などが存在しなかったと推測されることから、おそらくひじょうに古い日本語は、「母音(V)」または「子音+母音(CV)」の組み合わせのみからなる単語を用いる、モーラすなわち音節であるような言語だったのだろうということがいえる。それが、ある理由によって音節とモーラとの間にずれが生じた。その理由というのは、外来語(漢語)の流入と音便である。

ここから和歌の話へと続けようと思ってるのだけど長くなってしまった。続きはまた。

2009-12-16

『ちんちん千鳥の鳴く声は』

忙しかった。源氏物語もなかなか進まない。いまは「少女」を読んでるんだけど、読み始めてから二か月近くたつのにまだ半分くらいだ。まあまたちょっとずつ進み出したので、そのうち読み終わることであろう。途中『戦争と平和』並行して読んでたりしたし。

山口仲美『ちんちん千鳥の鳴く声は』(講談社学術文庫)という本について。最初に単行本が出たときにも話題になった本だそうだけど。鳥の鳴き声を昔の日本人はどう聞いてきたか、ひとつには擬音語として、もうひとつにはいわゆる「聞きなし」として、どう文字に写してきたかということについての研究。

僕は鳥が好きなので、そういう自然科学的なおもしろさと、言葉の研究としてのおもしろさとが相まって、なおさら楽しめた。

平安時代にすでに、ホトトギスは「死出《しで》の田長《たをさ》」という異名を持っていた。冥途の農夫のかしらで、死出の山を越えてやってきて農事を励ます鳥と信じられていたらしい。「死出の田長」という異名は、時にはホトトギスの鳴き声とも考えられたようで、『古今和歌集』にこんな歌がある。

いくばくの 田を作ればか ほととぎす 死出の田長を あさなあさな呼ぶ
(=ホトトギスは、いったいどのくらいの田を作っているからというのだろうか、「シデノタオサ」と毎朝叫んでいるよ)

「死出の田長」が、ホトトギスの鳴き声とも考えられている。  ホトトギスは、冥途からの使者だから、あの世にいる人のことも尋ねればわかるはずだ。平安時代の人は、こうも詠む。

死出の山 越えて来つらん ほととぎす 恋しき人の 上語らなん
(『拾遺和歌集』哀傷)

「死出の山を越えてきたに違いないホトトギスよ、あの恋しい人のことを語ってほしい」。毎年、夏になるとどこからともなくやって来て、激しく鳴くホトトギスは、冥途からの使者と感じられたのであろう。

(山口仲美『ちんちん千鳥の鳴く声は 日本語の歴史鳥声編』講談社学術文庫、p. 84)

田植えの歌とホトトギスというのは、前に枕草子の話で書いたことがあるが、それにはこういう背景がある、と。平安時代の例としてもうひとつ。フクロウについて。

『源氏物語』でも、フクロウの声は、不気味な「から声」をあげる鳥として登場している。

夜半《よなか》も過ぎにけんかし、風のやや荒々しう吹きたるは。まして、松の響き木深く聞こえて、気色ある鳥のから声に鳴きたるも、梟はこれにやとおぼゆ。(「夕顔」)

光源氏が、青春の情熱をかたむけて愛した女性は、夕顔。その夕顔が、物怪にとりつかれて、はかなく死んでしまった。光源氏は、今、その女の屍体を前に呆然としている。時刻は、夜半すぎ。あたりには、風が荒々しく吹き、鬱蒼と茂る木々がさけび、異様な鳥がしゃがれ声で鳴く。どうやら、それは、フクロウの声らしい。

フクロウは、「気色ある鳥(=ひとくせある怪しげな鳥)」であり、「から声」で鳴いている。

「から声」とは? 「老人のような低く濁ったしゃがれ声」のこと。「枯声《からごゑ》」「嗄声《からごゑ》」と書く。「うつろな声」とする説もあるが、うつろなことを意味する「空《から》」ということばは、この時代にはまだ存在していない。

(同書、p. 165)

個人的にとくに面白かったのは、平安時代ではないんだけど、ヌエ(鵺、トラツグミ)がなぜ怪物の名前になったのかというくだりと、ウトウヤスカタというへんてこな名前の鳥についてのところ。鳥や鳥が出てくる古い本の写真がたくさんあるのもよい。

ところで、僕は前までスズメというのは鳴き声が鈴みたいだからそういうのかなあ、となんとなく勝手に思い込んでいたんだけど、そうではなかった。この本にも控えめに触れられているが、大野晋と丸谷才一の対談に「雀はチュンチュンだからスズメでね」とあって(『日本語で一番大事なもの』中公文庫、p. 16)、これも鳴き声からきていたのであった。上代にはサ行の音は /ch/ に近い音だったから(森博達『日本書紀の謎を解く』中公新書など)そうなるのだろう。

2009-04-27

なお、すでに知られているように、当時の京都語のアクセント体系では、同一の語源をもつ単語のアクセントは少なくとも第一アクセントだけは同一であったとされている(金田一春彦氏の研究)。従って、一つの語のアクセントを知れば、他の語のアクセントを推定できる場合が少くない。例えば、小舟(ヲブネ)のアクセントが名義抄によって、上上○と知られれば、小(ヲ)のアクセントは上であるから、それによって、小笹(ヲザサ)、小塩山(ヲシホヤマ)、小倉山(ヲグラヤマ)、小忌(ヲミ)などの第一音節「ヲ」は、すべて上のアクセントであることが知られる。

また、今日の東京アクセントでは「起きない」のオは、オナイとなって低いが、「起きた」の場合はキタとなって高い。このように一つの動詞でも、活用形によって動詞の第一アクセントが変ることがある。しかし、当時の京都アクセントでは、同じ語ならば、第一音節のアクセントは活用形によって変わることがない。例えば「起く」という動詞ならば、「起きず」の場合でも、「起きたり」の場合でも、いずれもオは平声である。このように、動詞・形容詞などの終止形の第一アクセントが上ならば、活用形の如何を問わずその語の第一アクセントは上であり、終止形の第一アクセントが平ならば、活用形の如何に関わらずその第一アクセントは平であったから、終止形のアクセントを知れば、他の活用形の第一アクセントは知ることができる。

(大野晋『仮名遣と上代語』岩波書店、1982年、p. 22)

2009-04-23

琵琶法師

金田一春彦『四座講式の研究』(三省堂、1964年)という本(玉川大学出版部「金田一春彦著作集」第五巻所収)によれば、真言宗や天台宗に伝わる仏教音楽である声明《しょうみょう》のなかでも、日本語の歌詞を持つ「講式」という種類の声明は、古いもので鎌倉時代末期の日本語のアクセントをかなり正確に伝える資料となるという。

講式の譜は、歌詞の各仮名の横に「|」「\」「―」のような形をした節博士《ふしはかせ》という記号を付けた体裁をしている。これがその仮名を詠む際の音程を表しており(この記号の意味は講式の流派によってそれぞれ違っている)、それにより講式が作られた当時のその語のアクセントがわかるわけである。この話はすごく面白いのでそのうちまたあらためて書いておきたい。

琵琶法師の弾き語りにはまさか譜に相当するものはないだろうが、こういう中古中世の音韻の痕跡のようなものは残っていたりするのかな。