令和七年度「隠岐後鳥羽院和歌大賞」の結果が発表され、投稿歌を「公益財団法人 冷泉家時雨亭文庫賞」に選定していただきました。撰者の方々にお礼申し上げます。
歌題「漁火」
受賞歌:
ぬばたまの夜の波間をこぎ行きておきにかずそふあまのいさり火
入選からは外れましたが一緒に応募しました投稿歌:
しののめの沖つ波間のあまをぶねかすかにけぶるいさり火のあと
令和七年度「隠岐後鳥羽院和歌大賞」の結果が発表され、投稿歌を「公益財団法人 冷泉家時雨亭文庫賞」に選定していただきました。撰者の方々にお礼申し上げます。
歌題「漁火」
受賞歌:
ぬばたまの夜の波間をこぎ行きておきにかずそふあまのいさり火
入選からは外れましたが一緒に応募しました投稿歌:
しののめの沖つ波間のあまをぶねかすかにけぶるいさり火のあと
令和五年度「隠岐後鳥羽院和歌大賞」の結果が発表され、投稿歌を「城南宮 鳥羽殿賞」に選定していただきました。撰者の方々にお礼申し上げます。
歌題「秋浦」
受賞歌:
あさぼらけ浦にたなびく秋霧のたえまに見ゆる沖つ島かげ
秋くれば思ひなしにやふくごとにかなしさそふる浦の松風
賞に応募するようになって三度目の正直で入賞の光栄にあずかることができました。一度目に入選していい気になってたら翌年は選外で残念でしたがあきらめずにやってよかった。
隠岐後鳥羽院和歌大賞は今年度も募集をしています。ウェブサイトでの告知はまだのようですが歌題は「島」 とのこと(結果のお知らせに要項が同封されていた)。締切はだいたい10月末です。古文を読むのが好きという方は、古文を書くことの実践としてもぜひ応募してみてください。
「未来記」とは予言の書を意味する。和歌が衰退した将来に詠まれるであろう歌のさまを示した書、というくらいの意味で命名されたものか。
『新編国歌大観』第五巻、p. 1486
前回の続き。
五七五七七と言われるけれども、和歌・短歌には字余りという現象があって、5字ということになっている初句や第三句がときとして6字になったり、7字といわれる第二・第四・第五句が8字になったりすることがあるということはよく知られている。
ちなみに5字、7字といっているけど、これは正確には字数ではなく前回言ったモーラ数である。念のため。5モーラのところが6モーラになったり7モーラのところが8モーラになったりすのが字余りである。現代の短歌は破格に対して寛容なので、五七五七七も「入れたい言葉が入らなければ仕方ないので余ってもよい」程度のガイドラインにしかすぎないと思われているのかもしれないけれど、もしかすると「チョコレート」がオーケーなら6字でいいってことじゃない、といった字数とモーラ数の混同がそういう傾向を後押ししているという面もあるかもしれない。……が、「チョコレート」は5モーラなので初句に使っても字余りではないよ。
余談だがモーラという語はあまり膾炙した言葉じゃないのでちょっと使いにくいね。「拍」とかのほうがいいのかな。まあいいや。世間の多くの説明ではモーラと言うべきところを音節と書いている、というのは前回書いた通り。
さて、この字余りというのは現代人からするとただの規則から逸脱した例外にしか見えないのだが、かつてはそうでなかったことがわかっている。
まず「字余りしている句は句中に必ず母音の字が含まれている」というのが国学の時代から知られていた。宣長『字音仮字用格』(1176 1776 追記: 刊行年間違っていたので訂正しました)はじめ、富士谷成章も同種の指摘をしていたらしい(未読だけど)。古今集の「としのうちに」などの例である。この原則は古今集の頃にはほぼ完全に当てはまっていて、新古今の頃だとそうでない、単に余ってるとしか言いようのない字余り句がちょくちょく見られるようになっている。とはいえ、和歌の字余りを説明するいちばんの原則がこれである。百人一首の歌はぜんぶ当てはまってるんじゃないかな。
句中の母音字が字余りの条件だというのなら、それはなにか古代の発音の流儀に関係しているのではないか?ということで、字余りと古代の音節との関係にまつわる研究が昭和になっていろいろ発表された。
それらの研究の鍵になる発想は、要は「語中の母音音節が直前の音節と一体化して発音された」という仮説だ。それで、「直前の音節と接触」して「不安定な状態に」なるとか(橋本進吉)、「先行音と一緒になってシラビーム的な一音節を構成する」(桜井茂治)などということが主張された(ただ名前を挙げたどちらもまだ直接読んでないので悪しからず)。
この「古代語はシラビームだった」というのはちょっと前の日本語関連の本にはよく出てきて、なんだよそれとか思うのだけどちゃんと説明してあるいい本はまだ見つけていない。が、直前の音節と一緒になって融合してしまうという話で、まあ字余りの問題を片付けるのに便利だったので人気だったのだろう。
しかし、これらの「母音融合説」は「字余りしてるけどこの説なら字余りじゃないことになるよ」というだけで、和歌の字余りにまつわる現象をすべて解決してくれるわけではない。たとえば、字余りは起こる場合と起こらない場合とがある。「こぞとやいはん」「ことしとやいはん」は文の構造としてはまったく同じだが、後者でのみ字余りが起きている。じゃあ字余りは任意だったのか、となるとそうでもなくて、じつは万葉集の結句はほとんど義務的に母音字を含む句が字余りになっている、といった現象がある。
古文の文法の説明で以前から僕が(勝手に)重視しているのが、「その説明で古文が書けるか」だ。母音が融合するとかシラビームだとかは結果の説明には使えるが、それにしたがって作歌すると万葉集や古今集と同じような調子になるかというと、どうもそれだけでは足りない。
それで、字余りの原則は和歌の詠唱法にもとづく必然だったとするのが、前回も紹介した坂野信彦の『七五調の謎をとく』(1996、大修館書店)と『古代和歌にみる字余りの原理』(2009、星雲社)である。上記に書いた字余り研究の概要は後者の「字余り研究小史」によっている。
うう、また長くなったので続く。
僕がいつも読んでいるブログのひとつに、イジハピ!があって、中の人の深沢さんは技術系だけどよく日本語についての記事も書かれています。こないだの記事「リニューアルかリニューワルか」にコメントをしたのだけれど、そのやりとりでちょっと面白い話になってきたと思ったのでそこから思いついたお話をひとつ。もはや古文の話ですらないけど、日本語史に関わることではあるので一年ぶりにここで。もとの記事の本題だった表記の話とはぜんぜん関係ないのでコメント欄では気が引けるしね。いずれ書いておきたいことではあったんだ。といっても目新しいことではなくて、僕が読んできたなかでわかったことのまとめでしかないけれど。
深沢さんは「コピー」「シュガー」は2音、「タイマー」は3音とお書きになるのだけど、これは日本人ではちょっと珍しいタイプじゃないかな。単語を何音と数えるときには、「コピー」「シュガー」は3音、「タイマー」は4音だと言う人のほうがまだ一般的じゃないかと思う(調査したわけではないので推測だけど。なぜそう推測するかは以下に)。
じゃあこの「何音」というのはいったい何を数えているのか。
僕の挙げた後者の数えかたは、短歌や俳句で文字を消費していくときの数えかたで、交通安全標語などを書かせれば、日本語話者は小学生でもこの数えかたで五七五の標語を作る。この区切り単位は国語学ではよく「音節」といわれるのだけれど、言語学では「モーラ(拍)」という。音節とモーラはとても近いので、日本語に関する本にはこれを区別せずに音節と書いているものも多いけれど、たいていの場合はそういうときに言及しているのはモーラのほうである。「山田(ヤ・マ・ダ)」「コピー(コ・ピ・ー)」「神戸(コ・ー・ベ)」「会社(カ・イ・シャ)」は3モーラ、「高橋(タ・カ・ハ・シ)」「タイマー(タ・イ・マ・ー)」「東京(ト・ー・キョ・ー)」「関東(カ・ン・ト・ー)」は4モーラである。
モーラというのは、「詩や発話における長さの単位」をいう(窪園、1999)。つまり、それぞれのモーラに対してだいたい同じような時間を割り振って単語が発音されるということだ。日本語では、長音(伸ばす音)や撥音(はねる音)にもモーラが割り当てられているから、「広島(ヒロシマ)」と「東京(トウキョウ)」を手拍子を打ちながら同じリズム、同じ長さで発声することができる(これは英語話者には難しいらしい)。ふだんの発話だけでなく短歌や俳句も音をモーラで数えている。もっとも、モーラなんて言葉をを知らなくても(日本語話者は)日本語を話せるし短歌や俳句も作れるわけだから、これはもちろんそういう現象を観察した結果に学者さんがあとから名前を付けたものである。
これに対して、深沢さんの数えかた(?)が言語学でいうところの「音節」、英語でいうシラブルだ。音節というのは「母音を中心とする音のまとまり」(窪園、1999)である。音節では日本語の音声でいう長音や撥音は独立した単位とは数えない。「コ・ピー」「神戸(コー・ベ)」「東京(トー・キョー)」「関東(カン・トー)」は2音節、「山田(ヤ・マ・ダ)」は3音節、「高橋(タ・カ・ハ・シ)」は4音節になる。それから二重母音もひとつに数える。「タイマー(タイ・マー)」「会社(カイ・シャ)」は2音節だ。
英語では、語の発音の区切りも、語の「長さ」も音節単位であるのに対して、日本語で単語の「長さ」と言えばモーラで計るのがふつうだ。
さて、そうなると「タイマー」を3音とする深沢さんの数えかたはじつは両者折衷なのだけど、二重母音は2つに独立してカウントする音節式、あるいは長音を数えないモーラ式といったところだろうか。深沢さんは翻訳をされているそうだから、日本語の音の区切り意識もちょっと音節ふうになってるのかもしれない(笑)。けれど長音を数えなければきちんと日本語で短歌を詠むことはできない。
そういえば、歌手の一青窈が俵万智に教わりながら短歌に挑戦する、『短歌の作り方、教えてください』(角川学芸出版、2010)という本があるのだけれど、ここで一青窈が小さい「ょ」や「ー」「っ」を一文字として数えるのか数えないのかよくわからないんです、といったようなことをしょっちゅう言うのでびっくりした。現代語はそこが怪しい段階にまで変わっちゃったのかあ……、と思ったのだけど、あとで聞いた話では彼女は幼少期は台湾で育ったのだそうで、それでモーラによる数えかたがぴんとこなかったのだね。
閑話休題。音節は、英語では発音を区切る単位であり、またアクセント位置を決める単位でもある(英語だけの話をしているかぎり、モーラという概念は不要だ)。じゃあ日本語は発音をモーラ単位で区切るから、アクセントの位置もモーラ単位かというと、じつはこれがそうとは断言できないのがややこしい。モーラ単位で考えて多くの場合は説明が付くのだけれど、日本語標準語ではそれだけでは上手く説明できない現象が残るという。煩を避けてくだくだしい説明は省くけれど、アクセントの高低の位置が決まる法則は、モーラだけでなく音節区切りにもとづいた位置が大事な役目を担っている。ここで挙げている説明や例はすべて『現代言語学入門2 日本語の音声』(窪園晴夫、1999)という本にもとづいているので、このへんについて詳しく知りたければ同書をご参照くださいな。
というわけで、現代の日本語標準語は、モーラを基準としつつも音節に従う部分もあるというダブスタな(笑)音声構造をしている。奈良時代よりもっと以前の原始的な日本語では、単語に二重母音や撥音などが存在しなかったと推測されることから、おそらくひじょうに古い日本語は、「母音(V)」または「子音+母音(CV)」の組み合わせのみからなる単語を用いる、モーラすなわち音節であるような言語だったのだろうということがいえる。それが、ある理由によって音節とモーラとの間にずれが生じた。その理由というのは、外来語(漢語)の流入と音便である。
ここから和歌の話へと続けようと思ってるのだけど長くなってしまった。続きはまた。
さて、またここの対象とは時代が違うのだが、上野洋三『近世宮廷の和歌訓練 「万治御点」を読む』(1999年、臨川書店)という本について。
この本は、江戸時代初期の『万治御点(まんじおてん)』という書物についての著者による講義をまとめたもの。
『万治御点』というのは、江戸時代初期に後水尾院という人が後西天皇や飛鳥井雅章らに古今伝授のため歌学の勉強会を開いた、その添削の記録で、参加者の歌作とそれについての院による批評が記された文書である。
江戸時代初期ということで平安時代とは随分隔たっているわけだけど、当時の歌学の学習者、つまり歌の上級者ではなく中級者くらいの人々の歌作とその添削を見るのはなかなかおもしろい。
和歌というのは、平安時代の貴族階級の間ではおそらく教養であると同時に実生活でもあったように思われるが、やがて宮廷文化の衰退とともに特定の「家」に伝えられるような秘儀へと変化していったように見える。この変化の前後に横たわる断絶はあまりに大きく、生活とともにあった和歌というそのありさまは、いまの人間の想像からするとどこか童話的・神話的で、現実感の希薄な印象がつねにともなう(まあそれがみんなの言う「みやび」ってことなのかもしれないけど)。
後水尾院も後西天皇もその他の廷臣も、貴族皇族でありながらすでにこの断絶の「こちら側」の人間だ。このなかで、講義を行う院だけが、その言動から、こちら側から「あちら側」へと渡ることのできた、その境地へ達した存在であるかのように見える(後西天皇たちの目にも、院の姿はそう映ったに違いない)。和歌がわかった人間とまだわかってない人間との対比が、この文書に現れているわけだ。なかにはいかにも作り慣れてない感じの(それが僕みたいな人間にも感じられる)歌があったりして微笑ましい。
いっぽうで、『袋草紙』に見られた、しょうもないその場しのぎの実用テクニックやら、やたら細分化された歌の「病」に関するドライな形式的考察を髣髴させるものは、院の批評の言には見られない。歌が具体的・実際的なものではなく、「感じる」「体で覚える」秘儀へと変容しているからだ。
和歌は、限られた世界で共有され、その中で研ぎ澄まされた文化です。たとえ自然を詠んでいても、人間の心情を詠んでいても、和歌に詠まれる限りは、自然そのものでも、ありのままの心情でもありません。荒ぶる自然は箱庭化し、人間にとって理解できる文化へと変質させたうえで、初めて和歌の素材となりうるのです。和歌に詠まれた自然が、実は人工的な箱庭であったり、絵画であったりすることは、よくあることです。また、歌枕という名所を歌に詠む行為も同様です。富士山は煙が立っているものとして詠むものであり、逢坂は恋人が会うイメージでとらえるもの、というように、土地の「本意」(もっとも価値ある姿)が最優先して詠まれるのです。自然の実際の姿は、さほど問題ではありません。これは、写実主義とは相反する姿勢と言えるでしょう。人は自然をありのままに理解するのではなく、和歌によって文化へと変質させてから、初めて理解していたのです。つまり、和歌は、日本人が自然や人間の心情を理解し、解釈するための装置でもあったのです。
谷知子『和歌文学の基礎知識』角川選書、2006年、pp. 11-12
『古今和歌六帖』という歌集がある。これは万葉以来の秀歌数千首を「春」「夏」「山」「恋」といったテーマ別に分類して収録している本で、歌集というか、歌学の参考書みたいなアンソロジーだ。いま四つほど題材の例を挙げたけど、じつはその分類はかなり細かく、ほかにはたとえば「衣がへ」「星」「炭竈」「鮎」「ないがしろ」「一夜隔てたる」「二夜隔てたる」「来れど逢はず」等々と数百に渡ってある。「こういうシチュエーションを詠むときは、ええっと……」というときに引ける、かなり実用志向の本だったのだろう。
だからこれは平安時代の和歌を知るのにたいへん重要な本だと思うんだけど、活字でそれを読もうとするとこれがなかなか難しい。いま売られている古典文学の全集にはどれにも入ってないと思う。歌自体はほかの勅撰集や私家集にあるものばかりだからかな。しかし、平安貴族のネタ帳という意味でそのありさまには興味がわくところ。過去には久松潜一、山岸徳平監修『校註新訂 日本文學大系第十三巻』(風間書房、1955年)や、宮内庁書陵部編の上下二冊からなる『古今和歌六帖』(養徳社、1967, 1969年)などが出ていたようだ。
さて、風間書房の日本文學大系版が幸い図書館にあったので、さっそく手にしてその解題を読んでいたら、こんなふうに書いてあった。
撰者の漠然たるが如く撰時も明らかでない。集中の作者を以て契沖は寛和の頃(一六四五—四六)と推定したけれども、蜻蛉日記に引用したと見られる古今六帖の和歌などから推すに、或は天徳、應和の頃(一六一七—一六二三)の頃のものでは無からうかと思ふ。蓋し源順集によれば、天暦五年に次の如く梨壺に和歌所を置かせられた。
(久松潜一、山岸徳平監修『校註新訂 日本文學大系第十三巻』、p. 10、風間書房、1955年)
流して読んでたが、ふと年代の記述で目を疑った。一六四五? 『古今和歌六帖』は平安時代の書物のつもりでいたけど、もしや自分はとんでもない思い違いをしていたのか? ……と、焦ったが、その後すぐに気づいた。これ、皇紀だ。うおー。古い本とはいえ戦後だよ。国文学の本はすげえな。
と、内容と関係ないところで驚きましたとさ。
帥大納言云はく、「女房の歌読み懸けたる時は、これを聞かざる由を一両度不審すべし。女房また云ふ。かくのごとく云々する間、風情を廻らし、なほ成らずんばまた問ふ。女房はゆがみて云はず。その間なほ成らずんば、『別の事に侍ひけり』とて逃ぐべし。これ究竟《くつきやう》の秘説なり」と云々。
ある説には、「返歌を髣髴《ほのか》にその事となく云ふを、女房聞かざるの由を云ひて、またみさみさと云ふ。なほ聞かざるの由を云ふ時、『別の事に侍ひけり』とて逃ぐべし」と云々。また同じく、「女房のそへ事云ふには、知らざる事ならば、『さしもさぶらはじ』と答ふべし。いかにも相違なき答」と云々。
先年ある女房の許に小貝卅一に歌を一文字づつ書きて、ある人これを送る。女房予に歌を読み解くべきの由を示す。およそ力及ばず。仍りて萩の枝を折りてその葉にその事となき字を卅一、葉ごとに書きてこれを遣はす。件の所にまた読むことを得ず。両三日を経るの間、萩の葉枯れて字見えず。遺恨となすと云々。一説なり。
(新日本古典文学大系29『袋草紙』、pp. 26-27)
拙訳。
帥大納言(源経信)いわく、「女房が歌を詠んできた時は、聞こえなかったからと一、二度聞き直すとよい。女房がまた言ってくる。そうしている間に(返歌を)あれこれ推敲して、まだできなければもう一度聞き直す。そのうち女房のほうはふてくされて言ってくれなくなるが、それでもまだできあがらなければ『別の用事を思い出しました』といって逃げればよい。これ究竟の秘説である」と。
またある説には、「返歌を小さな声で、なにを言っているのかわからないくらいで言うと、女房は聞こえませんでしたと言ってくるから、またごにょごにょと言う。しつこく聞き返してきたら『別の用事を思い出しました』と言って逃げるべし」と。また同様に、「女房がなにか利発なことを言ってきたものの、意味がよくわからないという時には、『ははは、そんなことはありますまい』と言っておけばよい。たいていの場合はうまくはまってくれる」という。
先年、ある人がある女房のもとに小貝三十一枚に歌を一文字ずつ書いて送ってきた。女房は書かれた歌を読み解いてくれと、私のところにそれを持ってきた。さっぱりわからない。そこで萩の枝を折って、その葉の一枚一枚に、三十一文字、でたらめに書き付けてその女房に送ってやることにした。先方もさっぱり読み取ることができない。二、三日もすれば、萩の葉のほうは枯れてしまって、なんの字が書いてあったかもわからなくなる。してやられたと悔しがっていたが、これも一つの手である。
こいつらなにやってんだ。
物語のひとこまとして「『かきつばた』といふ五文字を句の上にすゑて、旅の心をよめ」などということが述べられるのは、他に例がありません。この《伊勢物語》の場合だけが孤立しています。なぜ他に例を見ないか、ということよりも、なぜここにはこういったことが書かれているのか、と考えてゆくべきでしょう。
ここに「つま」として詠まれている女性は、二条の后高子です。ここに謎を解くカギがありそうです。
じつはこの《伊勢物語》は、初段、第二段に序章的な物語を置き、第三段以降に主人公と二条の后高子との恋物語が展開されています。その「二条の后物語」のひとこまとしてこの第九段があるのはだれもが知っていることなのですが、この二条の后という女性はまた、この《古今和歌集》巻一〇〈物名〉にも登場する人物なのです。
二条の后、春宮の御息所と申しける時に、めどに削花挿せりけるを、よませ給ひける 文屋康秀
445 花の木にあらざらめども咲きにけりふりにしこのみなる時もがな
「めど」の意味がよくわからないのですが、さほどくふうがある〈歌〉には見えません。《古今和歌集》巻一〇〈物名〉に収録されている他の〈歌〉と比べるならば、むしろ劣っていることが歴然としているようにさえ見えます。〈歌〉が秀逸だからこの〈歌〉が採られた、などとはとうてい思えません。
この《古今和歌集》巻一〇〈物名〉に〈歌〉の作者以外に登場するのはこの「二条の后」だけなのです。それ以外には、458 の詞書に「人」が登場していますが考慮しないでいいでしょう。
高子はおそらく「物名の〈歌〉好きの女性」として有名だったのでしょう。《古今和歌集》巻一〇〈物名〉にたったひとり登場するのも、そういった理由からでしょう。445 の〈歌〉も、高子にかかわる〈歌〉だから、というので採られたのでしょう。〈歌〉が秀逸であろうがなかろうが関係ないのでしょう。《伊勢物語》では、〈二条の后物語〉のひとこまだから、ということで、高子にかかわるストーリーだから、ということで、「『かきつばた』といふ五文字を句の上にすゑて、旅の心をよめ」となったのでしょう。
そういったことを念頭に置いて、《伊勢物語》第三段をよんでみましょう。
《伊勢物語》第三段
昔、男ありけり。懸想じける女のもとに、ひじき藻といふものをやるとて、
思ひあらばむぐらの宿に寝もしなむひじきものには袖をしつつも
二条の后の、まだ帝にも仕うまつり給はで、ただ人にておはしましける時のことなり。
ここに詠まれている〈歌〉、どうもあまりパッとしません。「ひじき藻」を詠みこんで「ひじきもの」というだけじゃどうも、…といった感じです。「ひじきもの」、通説は「引敷物」だと言うんですが、私はここは「ひしぎもの」つまり、目をふさぐ物、という意味だと思います。袖で目をふさごう、と言っているのでしょう。「おも火(おもひ)」「む暗(むぐら)」にかかわっての表現でしょう。それにしても、ヘンな〈歌〉です。
この第三段は、主人公があの「物名の〈歌〉好きの女性」二条の后にはじめて〈歌〉を贈ったことが描かれている章段なのです。
そのことを念頭に置いて始めてこの〈歌〉の「しかけ」が見えてきます。
この女性の気をひくにはなによりもまず言葉遊びでしょう。始めて贈るこの〈歌〉に言葉遊びの「しかけ」がない、などということは考えにくいことです。「物名」に決まっています。「沓冠」というしかけでしょう。
この〈歌〉、各行の最初の文字と最後の文字とを次の順に読むことによって、主人公が伝えたメッセージを読みとることができます。この順は「かきつばた」のばあいよりはちょっと複雑です。
おもひあらは (1) (6) むくらのやとに (10) (5) ねもしなむ (9) (4) ひしきものには (8) (3) そてをしつつも (7) (2) 「おもはむにはそひねむ」「思はむには添ひ寝む」、好きだったらいっしょに寝よう、ということでしょう。
これが《伊勢物語》第三段で主人公が〈歌〉に託したメッセージなのです。
「物名の〈歌〉好きの女性」二条の后にはじめて贈った〈歌〉はやはり言葉遊びの技法を用いたものだったのです。
(出雲路修『古文表現法講義』岩波書店、2003年、pp. 113-116)
「ひしぎ」については、
- ひし・ぎ【拉ぎ】
- 〔四段〕(1) 強く押しつぶす。「よもぎの車に押し―・がれたりける」〈枕二一四〉(2) 目をつぶる。「目を冥(ひし)いで坐り」〈三蔵法師伝五・院政期点〉
「めどに削花」については、
- めど【蓍】
- (1) 豆科の多年草。メドハギ。「蓍、女止(めど)、以二其茎一為レ筮者也」〈和名抄〉(2) 「めどき」に同じ。また、それを用いて行う占い。「龜の卜(うら)、易の―などにて疑はしき事を勘(かんが)ふべきなり」〈尚書抄七〉「筮、メド」〈いろは字〉(3) 目当て。「―が違うた」〈譬喩尽六〉 ―に削り花「めど」(1) につけた、木を細かく削りかけて造った花。古今伝授の一とされた語。「―挿せりけるをよませ給ひける」〈古今四四五詞書〉
(ともに『岩波古語辞典』。)
和歌について。中古の古典を読んでいるというからには、和歌について触れないわけにはいかない。いかないんだけど、これがなかなか難しい。
歌がどういう意味かは辞書や註と格闘すればなんとかなる。だけど、その場面でその人に、いったいどういう頭の中の働きによりその歌が出てきたものなのかというのは依然として謎だ。自分で歌を作ったことがないから、人がそういうときにどんな歌を詠んだというのが非現実的なのだろう。しゃべってていきなり朗詠モードに入ったわけ? わからん。
それと、和歌そのもののよさがまだ自分にはよくわかっていない気がする。私家集でも物語でも、歌はたいていその前に詞書きというものがあって、かくかくしかじか、どういう経緯で、ああなってこうなって、それで詠んだ、歌、というふうに書いてある。時にはそれにひどく感心させられることもあるのだが、さて自分が歌に感心したのかそれとも詞書きに感心したのかというと、どうも後者のような気がする。結局読んでる頭は散文の頭なんだよなあ。
僕は自分で読解力はあるほうだと思っていて、空気を読むのは苦手だが行間を読むのは得意のつもりでいる。ところが和歌は一行しかないので、そこに行間はない。歌には歌のアタマがあって、それを悟らない限り、歌はずっと自分にとって「外」の言語芸術のままなんだろうな、と思う。
それでも歌にはちょっといいなと思うところもある。それは形式を担保にして言いにくい本音も伝えられることだ。言いたくても言えないことというのはなかなか結構あるもので、それを直接でなく形式的に解消できる風習があったというのはちょっとうらやましいな。