源氏の幼い頃にその将来を占わせたことは (1)「桐壺」に書かれているが(新体系、pp. 20-21)、「桐壺」の巻で語られるのは「帝にもならず、かといって太政大臣でもない」ということだけである。しかし (14)「澪標」において、宿曜《すくえう》の予言には「御子三人、帝、后かならず並びて生まれたまふべし。中の劣りは、太政大臣にて位を極むべし」という内容を含んでいたことが明らかになる(新体系、pp. 100-101)。というか、本来「澪標」で語られているこの内容は「桐壺」の時点で触れられていないとおかしい。でないと伏線として機能しないから。その思い込みがつい働いて、ここはよく勘違いしてしまう。
11日の記事の内容を確認しようとして「桐壺」を見返したら、どこにも「御子三人、云々」が見つからないので焦った。また勘違いしないようにここにメモとして書いておく。
個人的な憶測を言えば、(5)「若紫」以前の巻が、それが何巻あったかは別として、とにかく存在していた。しかし『源氏物語』が本格的に流通する段階で、それらは紛失なり若書きなりの理由で省かれた。しかしそれでは源氏と藤壺、冷泉帝との関係や、将来の予言の謎といった物語の基本設定がわからないから話を追うことができない。そこでその段階で作者が背景説明として「桐壺」を用意した。そういう事情のような気がする。それであとで引用しているのを忘れて伏線をはしょって書いてしまったんじゃないかな。とはいえ朝顔斎院や六条御息所との馴れ初めがないのはちょっと省きすぎの感じがするから、そこは別にやっぱり巻があったかもしれない。
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