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2009-07-16

助動詞キの運用

小松英雄『丁寧に読む古典』に、補章として載せられている「助動詞キの運用で物語に誘い込む――物語冒頭文における助動詞キの表現効果」という一篇から。

『落窪物語』の冒頭には、最初の登場人物がつぎのように紹介されている。

今は昔、中納言なる人の、御娘あまたもち給へる、おはしき

平安時代の仮名文に多少ともなじんでいる読者なら、結びの助動詞キに、オヤ? と反応するに違いない。なぜなら、「今は昔」から予期される結びは、「おはしき」でなく「おはしけり」のはずだからである。当時の人たちは、ここにキが出てきたことに、現今の我々よりも、もっと敏感に反応したであろう。

(小松英雄『丁寧に読む古典』笠間書院、2008年、p. 274)

また、

古典文法の用語として〈過去〉は適切でない。平安時代の日本語は、現在と過去とを区別せずに文末が結ばれているので、現在か過去かの判断は文脈に委ねられているからである。ちなみに、未来表現には義務的に助動詞ムなどが添えられている。〈回想〉も使用をやめたほうがよい、言語は外へ向けた表出 (expression) であるから、内向きの回想 (recollection) を直接に表明する助動詞をもつことは原理的にありえないからである。

以上の検討から知られるように、助動詞キの機能は、それが話し手の行為、行動であったと積極的に表明すること、すなわち、事故の関与を読み手に認識させることである。「アフリカに象がたくさんいたよ」のタには、話し手の関与が表明されている。この場合のタの用法は、その点において平安時代のキの用法とほぼ同じである。現今と同様、昔の日本語も場面に即して柔軟に運用されていたことを、古典文法の専門家は忘れがちのように見える。

自分の経験を叙述するだけなら、過去の出来事であることは文脈から判断可能なので、特定の助動詞で表明する必要はない。

『落窪物語』冒頭の場合、「おはしき」という表現をとることによって、地位の高いその人物を自分は知っていたと明言していることになるから、読み手は、現実社会で実際に起こった出来事への好奇心をそそられ、話の展開に強く引き込まれることになる。

(同書、pp. 276-278)

助動詞「き」に関しての同書における既存古語辞典に対する批判は微妙なもので、要はそれが未来表現で「義務的に」現れる「む」などと違って「選択的な」助動詞であるということが明記されていないということへの不満に由来している。

総索引が整備され、電算機検索も容易になった現在では、読んだことがないどころか、表紙さえ見たこともないテクストから、文脈も確かめずに用例を剥ぎ取ることに後ろめたさを感じない風潮が蔓延し、すべての助動詞が義務的であるかのような説明がなされている。

(同書、p. 278)

まあ、実際にすべての助動詞が義務的なものとして書かれている、と「(読者から)読まれている」かというと、そんなことはないんじゃないかという気もするけど、辞書の編纂者としては厳密な態度でないといけないのかもしれない。

「アフリカに象がたくさんいたよ」という現代文での「た」との比較はおもしろいし、重要だと思った。

さて、同書のこの章では冒頭だけでなく、議論の多い『落窪物語』の結尾についても少しだが触れられている。

この物語の最後には、姫君の侍女であった「あこぎ」が現在は内侍典侍《ないしのすけ》になっているはずだとあり、「典侍は二百まで生けるとかや」と結ばれている。「あこぎ」は超人的長寿に恵まれたが、そのほかの登場人物は世を去って久しいから、現存する人物と結びつけて憶測したりしないようにと釘を刺したものであろう。冒頭のキと整合させれば、物語の書き手もまた「あこぎ」と同じだけ長寿だったという理屈になるが、そこまでは責任を持っていない。

(同書、p. 279)

2009-06-18

物語の末尾切断形式

最近、のんびりとだけど『大和物語』も読んでいる(小学館「新編日本古典文学全集」12)。いくつ並行して読んでるんだという感じだが……。

ひとつひとつの段が短くて、文の流れも自然で読みやすい。これは古文の入門にいいんじゃないのかな。どこか取り付く島のない感じの『伊勢物語』なんかよりも、ずっと教科書向きなんじゃなかろうか。教養としての重み付けからすると伊勢物語なんだろうけど。しかしいくつか古文読んできた者としての実感からすると、あれ、読みにくいよね。少なくとも、感情移入できる文ではないと思う。

さて、その大和物語を所収する小学館「新編日本古典文学全集」の解説で面白かったのは、「物語の末尾切断形式」というくだり (p. 432)。

『大和物語』の原型の最後は百六十九段と見られ、歌も含まれず、その末尾本文は「水くむ女どもあるがいふやう」と切断形式になっている。切断形式とは末尾本文が、内容的にも形式的にも完結していないものをいうのであって、余韻を持たせるための形式である。「あはれ」の内容を持った説話の集積の末尾としてはまさに生きた形式になっている。この形式は後に亜流を生んで、内容的には完結していても、形式的には完結していないかのように見せかけたもの、文章の上では内容的にも形式的にも完結していないが、その先の内容を読者が知っており、切断形式の実質的効果が上がっていないものなども出てくる。

(「大和物語」、新編日本古典文学全集12、p. 432、小学館)

作品としての物語をどう終わらせるのか、それについての当時の定石のひとつが切断形式だったのだろう。『源氏物語』の末尾はけっこう有名だと思うけど、あれがどうしてあんなふうな終わらせかたなのかと感じた人も多いと思う。結末を描く段落としては、一回転してかえって斬新さを感じさせる、すぱっとした終わりかたなんだよね。写本の系統によってその末尾が安定してないことには、この切断形式がひとつの型としては忘れられてしまったということにも一因があるのかもしれない。最近読み終えた「花宴」の末尾も切断形式をとっていたということか。

 「梓弓いるさの山にまどふ哉ほのみし月のかげや見ゆると
なにゆゑか」とおしあてにのたまふを、え忍ばぬなるべし、
  心いる方ならませば弓張りの月なき空にまよはましやは
と言ふ声、たゞそれなり。いとうれしきものから。

(「花宴」、新日本古典文学大系『源氏物語 一』、p. 284、岩波書店、一部表記を改める)

これで終わり。ここは、一度だけ会った朧月夜を探して源氏が右大臣邸をうろうろしていたところ、それとなく鎌をかけたりしてようやくその人を捜し当てた、という場面なんだけど、「いとうれしきものから」で終わっている。「いとうれしきものから」というのは「とても嬉しいけれど」というような意味だけど、思わせぶりな逆接を付けておいて、その先はない(次の巻もこれとは関係なく始まる)。

『落窪物語』の末尾についても、いろいろ詮索する一方で、そもそもこういう形式があるということを頭にとどめておく必要はあるね。

2009-04-09

交野の少将もどきたる落窪の少将などはをかし

落窪物語は、枕草子にもその名が見えている。

雨は心もなきものと思ひしみたればにや、片時降るもいとにくくぞある。やむごとなきこと、おもしろかるべきこと、たふとうめでたかべいことも、雨だに降れば、いふかひなくくちをしきに、なにか、そのぬれてかこち来たらんがめでたからん。

交野の少将もどきたる落窪の少将などはをかし。昨夜・一昨日の夜もありしかばこそ、それもをかしけれ。足洗ひたるぞにくき。きたなかりけん。

(池田亀鑑校訂『枕草子』岩波文庫、1962年、pp. 320-321)

拙訳。

雨は風情のないものとの思い込みがあるからだろうか、少し降るだけでも嫌なものである。高貴なこと、明媚なこと、尊くめでたいことも、雨が降ってしまえばそれだけで台無しになってしまう。男が文句を言いながら濡れてやって来るところがいいなどと、どうしていうのであろうか。

交野の少将を非難していた落窪の少将などはまあ例外である。とはいえ、それも前夜、前々夜があってのことで、足を洗ったりなどしてひどいものである。不潔だ。

雨の日に濡れながら男がやってくるのがいいというのは、「身を知る雨」といって、雨が降ると男がめんどくさくなって女のもとに来なくなる。それで「ああ、その程度の愛情だったのか」と女が「身の程を知る」という、そういう当時の通念みたいなものがあった。そこから来ている。雨にも負けず男が来るのというのが、当時の(一部の)女性たちにとっての憧れのワンシーンみたいになっていたのだろう。そういう阿呆な幻想に対して異を唱えているわけである。落窪の少将(男君)は雨の夜に女君のもとに通ってきたが、それは三夜続けて通って結婚が成立する、その大事な三夜目だったからいいのだと。

参考歌。

かずかずに思ひ思はず問ひがたみ身を知る雨は降りぞまされる(古今和歌集、恋 4)

『蜻蛉日記』に、作者道綱母とその夫兼家との切れそうで切れない関係を表す鍵として、この身を知る雨というのがたびたび出てきたように思う。あとで見つけたらここに載せよう。道綱母は兼家に見捨てられたと思って悲しんだり怒ったりするのだが、兼家が嵐の日とかに突然やってくると、(それが兼家のご機嫌取りの作戦だとわかっていながら、)なんだかんだいって内心嬉しくて浮かれたりするのである。人間ってバカだよね。

「足洗ひたる云々」の話はまた後日。

2009年4月12日追記。なんかむちゃくちゃな展開の文章になっていたので修正。

2009-04-06

落窪物語エンディング

物語の一番最後のくだり。だらだらと続けてきたけど、落窪物語の話は今回でひとまず終わりということにする。

三の君を中宮の御匣殿《みくしげどの》になんなしたてまつり給へりける。

師《そち》は任果てて、いとたひらかに四の君の来たるを、北の方うれしとおぼしたり。ことわりぞかし。かく栄え給をよく見よとや神仏もおぼしけん、とみにも死なで七十余《よ》までなんいましける。大い殿の北の方、

「いといたく老いたまふめり。功徳を思ほせ。」

との給《たまひ》て、尼にいとめでたくてなし給へりけるを、よろこびのたびいますがりける。

「世にあらん人、まゝ子にくむな。まゝ子なんうれしき物はありける。」

との給て、又うち腹立ち給時は、

「魚《いを》の欲しきに、われを尼になしたまへる。産《む》まぬ子はかく腹ぎたなかりけり。」

となんの給ける。死に給て後もただ大い殿のいかめしうしたまひける。衛門は宮の内侍になりにけり。のちのちの事はつぎつぎいで来べし。

この少将の君たち、一よろひになんなりあがり給ける。祖父《おほぢ》おとゞ亡せ給にけれども、

「われ思はば、ななし落としそ。」

と返ゝ《かへすがへす》のたまひければ、わづらはしくやんごとなきものになんおとうとの君をば思ひ給ける。左大将、右大将にてぞ続きてなりあがり給ける。母北の方、御さいはひ言はずともげにと見えたり。師はこの殿の御とくに、大納言になり給へり。面白は病まひおもくてほふしになりにければ、おとにも聞こえぬなるべし。かの典薬助《てんやくのすけ》は蹴られたりしを病まひにて死にけり。

「これ、かくておはするも見ずなりぬるぞくちをしき。などてあまり蹴させけん。しばし生けて置いたべかりける。」

とぞをとこ君の給ける。女御の君の御家司《けいし》に和泉守《いづみのかみ》なりて、御とくいみじう見ければ、むかしのあこき、いまは内侍のすけになるべし。典薬助は二百まで生けるとかや。

(新日本古典文学大系18『落窪物語 住吉物語』岩波書店、1989年、pp. 290-292、一部表記を改める。)

拙訳。

(男君は)三の君を御匣殿の女房としてさしあげた。

筑紫の師《そち》がその任を終えて四の君も無事京に戻り、北の方は胸をなで下ろす。無理もないことである。こうして一族が栄えていくありさまをとくと見よとの神仏のはからいであろうか、七十をこえてなお達者であった。

「ずいぶんとお年を召されましたね。功徳をお考えにならなければ」

女君はそうおっしゃって北の方を立派に出家させて差し上げた。北の方はそれにいたく感激して

「世の中の人、まま子憎むな。まま子はありがたいものであるぞ」

とむせび喜んだ。かと思えば、腹の立つことがあると

「魚が食べたいのに、私を尼にしてくれて。腹を痛めて産んでない子はなんと意地の悪いこと」

などとおっしゃるのであった。亡くなられた後も、男君が立派な葬儀をお出しになった。衛門は宮の内侍になるが、その後のことはまた追々語ることとしよう。

少将の君たち(男君の子供たち)はお二人そろって位を極めていった。祖父の大臣《おとど》は亡くなられたが、

「わたしに孝行したいなら、くれぐれも次郎君をおろそかにはしてくれるなよ」

と常日ごろ繰り返しおっしゃっていたので、弟君には男君も格別の気を遣われ、兄弟は左大将、右大将とたてつづけに昇進したのであった。女君のお幸せといったら言わずもがなである。筑紫の師は男君のおかげで大納言へとなられた。面白の駒は病をこじらせて法師になったきり、あとの行方はようとして知れない。典薬助といえば、蹴られどころを悪くして、それがもとで死んだという。

「こうして立派になった女君の姿を見ずに死んだとは。あんなにひどくいじめることもなかった、もう少し生かしておくべきであったな」

と、男君は残念がった。和泉守は女君の家司となり、熱心にお勤めして差し上げたという。そのおかげで、むかしのあこきは、いまや典侍《ないしのすけ》となる。ところでかの典薬助だが、あるいは二百まで生きたともいうそうである。

二月には読み終えていたのだが、ここで紹介していくのに手放せなくて、地元の図書館でずいぶん長く借り占めてしまった。そういうわけで早く返さなきゃいけないと思い、上に引用した新体系本は、もう手元にはない。脚注をメモしておくのを忘れたせいで、和泉守云々の部分の訳が心許ないのだけど、ご容赦を。

とはいえ、それはそれとしても、このエンディングにはいろいろと気になる点がある。

一番の問題点はもちろん、典薬助についての後日譚がたがいに矛盾する内容で二回語られていることだ。これは古来議論の的になってきたらしく、写本のなかには末尾の「てんやくのすけ」を「たちはき」や「ないしのすけ」と書き改めているものもあるという。たしかにそう書き換えれば内容が矛盾するという問題は回避できる。新体系の解説によれば、定説になっていたのは「たちはき」とする解釈だそうだ。登場人物の後日譚が語られるこのエンディングで、準主役級の扱いだった帯刀について言及がないのもおかしいということだろう。その一方で、「たちはき」を「てんやくのすけ」と誤写するというのは考えにくい。その点では「ないしのすけ」、つまりあこきのこととする解釈のほうに分がある。

新体系はこれら旧来の説に挑戦するというような書きぶりで、ここに別の解釈をあてている。つまりここは字のまま典薬助のこととするのである。典薬助は死んだという噂がある一方で、実は生きていてしぶとく二百歳まで生きたとかいう噂もあったとさ、と意図的にぼかした後日譚としているというわけだ。

新体系出版からだいぶ時を経ている現在では、主流の解釈はどうなっているのかな。

ともかく、この説も説得力がある。原文をいくら読んでも決定的な証拠が見えないのがもどかしい。最後の文に、たったひとつ、たとえば「さらで」とか「げには」とかの副詞のひとつも入っていれば、こんな解釈の混乱を招かなかったろうにと思ってしまう。早々に解釈が混乱したということは、それはそれで元があんまりいい文じゃなかったということだ。

作者の身になって考えてみても、帯刀やあこきが二百歳生きたというよりは、怪人物めいた好色漢の典薬助が二百歳まで生きたという話を書いたと見るほうが自然かと思うけど……。

訳ではサボって曖昧に処理してしまったけど、原文に使われたり使われなかったりしている助動詞ケリの使われ方は、よく考えないといけない。どうしてここで使っていて、次の文で使っていなくて、その次でまた使っているのか。とくに末尾から二番目の「女御の君の御家司云々」のところとか。神は細部に宿るのだ。でもそれを考えてるとブログが書けなくなると思って今日は素通りした次第。

古典文学の作品の結び方には、いろいろと謎の含みがあって、その意図をこれと決定しがたいものが多い。枕草子にせよ、土佐日記にせよ、それぞれの作者にそれぞれの美学があって、結びとなればそれをもっとも凝縮した形でスタイリッシュに表して終えようという意志が働いているのだとは思うんだけど、それがかえって徒となり「外国人」である現代人にはどうもぴんとこないのだ。残念なことであるよ。

2009-03-26

四の君の再婚

ストックが切れてしまって、一週間空いてしまった。

男君は中納言家の三の君と四の君にあてがう新しい婿を見つくろう。ちょうど筑紫(つくし)の師(そち)として太宰府に下る男性が妻に先立たれたというのを聞き、これに四の君を、ということになる。このあたりは四の君本人を蚊帳の外にして決められていく。

あれよという間に四の君との結婚が実現するが、筑紫の師はそのうち太宰府に行かなければならない。これに四の君は同行することになる。ところで四の君には十一になる娘がいる。面白の駒との子とはいえ、四の君は娘をかわいく思っている。師には先妻との間に子が幾人もいるが、そのなかに四の君が実子を連れて妻としてやってくるのはよろしくなかろうということで(四の君は継母になるわけである)、四の君は娘と別れなければならないのかと悩む。

そこで女君が出した入れ知恵が、娘を旅の心細さを慰めるために母北の方が四の君に付けたお供として同伴させるという案だった。あったまいい! とみんな感心するのだが……、そうか? 自分の娘をそれと周りに告げることもできないまま連れて行くことになる四の君は、気の毒というほかないように思う。

長々とあらすじを書いてきたけど、僕が気になったのは、それでこの三の君と四の君の離別再婚は、どういう意図で書かれてるんだろうかということだ。お話が「男君の一族が繁栄してめでたしめでたし」で終わらないことで、物語に厚みを与えるという効果は結果として出ているけど、じゃあこの後半部分はなにを描こうとして続いているのかと考えてみても、どうもぴんとこない。このあと、面白の駒と四の君は離別をほのめかす歌のやりとりをするんだけど、そこはなんだか義務的にとってつけたような感じである。源氏物語のような、男女の仲の「あはれ」を描こうとしているのかな、と一瞬思わせもするんだけど、そういうことの核心にせまるような描写には入っていかない。それで北の方がどんな憎まれ口をたたいたとかはすごくうまく書いている。なんか徹底してないんだよなあ。

第四巻にもなると、語り口は直線的牧歌的だった物語前半と比べるとずいぶん変貌していて、小説的な、各登場人物の性格がからみあって筋が進んでゆく、俗にいう「キャラが立っている」状態になってきている。それだけにこの不徹底さが気になる。「新体系」の解説にはいみじくも、「安易に男性作家であるように考えられているとしたら、確実なその証拠はどこにもないことに十分に醒めておきたいように思う (p. 409)」などと書かれているが、肝心な三の君・四の君の心理描写のところだけがすっぽり抜けているようなこの書きぶりは、やっぱり男の文章なんじゃないのかな。

2009-03-12

三の君の離縁

まず三の君について。

三の君にはもともと蔵人少将という夫がいた。蔵人少将は豪胆な性格の男で、中納言家でも彼を誇りにしていたようなのだが、やがて三の君と疎遠になっていく。といっても、そこはそんなにしんみりした話じゃなくて、ひとつには四の君が面白の駒を夫に迎えたのを知って嫌になったこと(普段馬鹿にしていた男と親戚になってしまった)、それから左大臣家の娘(男君の妹)とのいい話が出てきて、家運の傾いた中納言家よりはとそっちに鞍替えしてしまったことが原因である。だから三の君は男君の差し金で蔵人少将を奪われたようなものである。

そういうわけで蔵人少将が三の君から離れていくことは中納言家の権勢が衰えていくその一環として語られているわけだが、法華八講が終わった場面で、このふたりの離縁が決定的になるというくだりが語られる。

蔵人少将はこの場面では中納言になっている(こういうときほんとややこしい)。

三の君、中納言を、けふやけふやと思ひいで給ふに、さもあらでやみぬ。いみじう心うしと思ひいづるたましひや行きてそそのかしけん、こと果てて出で給ふに、しばし立ち止まりて、左衛門佐《さゑもんのすけ》のあるを呼び給ひて、

「などか疎くは見る。」

とのたまへば、佐、

「などてかむつましからん。」

といらふれば、

「むかしは忘れたるか。いかにぞ。おはすや。」

とのたまへば、

「たれ。」

と聞こゆれば、

「たれをかわれは聞こえん。三の君と聞こえしよ。」

とのたまへば、

「知らず。侍りやすらん。」

といらふれば、

「かく聞こえよ。
  いにしへにたがはぬ君が宿見れば恋しき事も変らざりけり
とぞ。世の中は。」

と言ひていで給へば、佐、返りことをだに聞かんとおぼせかしと、なごりなくもある御心かな、と見る。入りて、

「かうかうの給ひていで給ひぬ。」

と語れば、三の君、しばし立ち止まり給へかし、中々何しにおとづれ給ひつらんと、いと心うしと思ひて、返事言ふべきにしあらねばさてやみぬ。

(新日本古典文学大系18『落窪物語 住吉物語』岩波書店、1989年、pp. 227-229、一部表記を改める。)

拙訳。

三の君は中納言のことを「あるいは今日はいらっしゃるかも」とたびたび思い出すのだったが、それが現実になることはなかった。つらく思う魂がさまよい出でて中納言をそそのかしでもしたのだろうか、八講が終わり退出するところに左衛門佐がいるのを見つけた中納言は、声をかけてみる気を起こした。

「おい、そんな赤の他人のような目で見なくてもいいだろう」

そう言うと左衛門佐は、

「ほかにどんな目で見ろというんです」

とつっぱねる。

「昔を忘れたのか。どうだ、達者でいらっしゃるか?」

「誰がです」

「誰って決まっているだろう、三の君と申したお方よ」

「どうでしょうね、あるいはそうかもしれませんね」

「こう申し上げよ。
  いにしへにたがはぬ君が宿見れば恋しき事も変らざりけり」

そう言って、中納言は「世の中は」とうそぶきながら去っていった。左衛門佐は中納言の未練のなさに、返事を聞く気くらい見せたらどうかと思うのだった。帰ってそのことを伝えると、三の君は、いらしてくれたらよかったのに、そうしないのなら、どうしてなまじ声などおかけになったのかと、ふさがる思いがして返事をすることもできなかった。

左衛門佐というのは女君の父中納言家の三男つまり三の君の弟である(物語の始めの頃はまだ子供だった)。だから姉を見捨てたこの中納言(蔵人少将)を快く思っていない。それでこういう緊張したやりとりになっている。三の君との歌のやりとりとかにしないところが小説的でうまいと思う。

中納言の去り際のせりふ、「世の中は」というのは注によれば古今集・雑下「世の中はいづれかさしてわがならむ行きとまるをぞ宿と定むる」(詠み人知らず)による。三の君の宿も恋しいことは恋しいが、俺は俺が行くところを宿にしていくんだからね、というわけで、なんの未練もないことがわかる。新大系ではこの場面に「以上の場面は中納言と三の君との関係が離婚状態から離婚の確認へ進み、完全に切れたことを示す」とわざわざ注を付けている。

いい場面なんだけど、全般的にあっけらかんとした落窪物語全体からすると、なんだかここだけしんみりしていてちょっと異質である。

2009-03-05

三条殿での父娘対面

中納言家は、もとは女君の母親の家の所有であった三条殿を改築してそこへ引越すことにする。女君がいなくなってしまった今その領有権は父中納言にあると考えての行動だったが、じつは女君はその土地の領有権を示す「券」をちゃんと大事に持っていた。男君はこれを利用して中納言家の引越の直前に三条殿を乗っ取ってしまうという仕返しを思いつく。これが中納言家への復讐のクライマックスである。

中納言家から侍女たちを引き抜いたり、新しい三条殿で中納言家方が引越の準備をしているところに男君の家司(けいし。「権門家の家務を取り仕切る職員」p.188)たちが現れて「ここは雑色の控えの間とする」とか勝手に決め出し、中納言家方の男たちがあっけにとられたりする場面などが見どころなんだけど、もういちいち引用はしないよ。なりゆきでそうしちゃったけど、ここは古典のあらすじをダイジェストで紹介みたいな便利ブログじゃないんだ。引用するのは僕がおもしろいと思ったとこだけ! あとは自分で読め!

いろいろあった末、その三条殿に中納言らを呼び寄せ、男君は事情をすべて明らかにする。自分の妻はかつての「おちくぼの君」であること、北の方をこらしめるために今までそれを伏せていたことなどを語る。父中納言は女君とその子供たちに対面もする (p. 210)。その後、北の方も女君と対面することになるが、力関係が逆転してしまったその再会の場面は滑稽である (p. 222)。男君のほうはいまや大納言なのだ。

さて父娘が再会してめでたしめでたしで終わるかというと、そうではない。あれだけ中納言家にひどい目を見せてきて、「じつはあなたの娘だったんです」と明かしただけで終わっちゃったらただのドッキリだ。男君がかねて言っていた通り、仕返しのあとはそれを上回る孝行で父中納言に報いるのである。年老いた中納言への最大の孝行として男君・女君のふたりが考えたのは、法華八講であった (p. 220)。

もちろん、法華八講を開催できるということ自体が、現在の男君の権勢の大きさを示してもいる。

これでようやくめでたしというところなのだが、じつはまだいくつかのエピソードが残されている。それは中納言家三の君・四の君の後日譚である。

ああもう、そういうんじゃないと言っておきながら今日は結局あらすじで終わってしまった。

2009-02-26

典薬助を蹴る

賀茂の祭り見物での車争い。中納言家北の方一行の車が場所取りの杭を打っていたところ、その向かいに男君一行の車が陣取る。男君は「向かいの車は邪魔なのでちょっとどけさせろ」と命じる。理不尽な要求に憤って出てきたのは、あの典薬助であった。

「けふのことはもはらなさけなくはせらるまじ。打ちくひ打ちたる方に立てたらばこそさもしたまはめ、向かひに立てたる車をかくするはなぞ。のちの事思ひてせよ。またせん。」
としれものは言へば、衛門の尉《じょう》(=帯刀)、典薬と見て、としごろくやつにあはんと思ふにうれし、と思ふに、君(=男君)も典薬と見給ひて、
「これなり、それはいかに言はするぞ。」
とのたまへば、心得て、はやる雑色《ざふしき》どもに目をくはすれば、走り寄るに、
「『のちのことを思ひてせよ』と翁《おきな》の言ふに、殿をばいかにしたてまつらんぞ。」
とて、長扇《ながあふぎ》をさし遣りて、かうぶりをはくと打ち落としつ。もとゞりは塵《ちり》ばかりにて、ひたひははげ入りてつやつやと見ゆれば、物見る人にゆすりてはらはる。翁袖をかづきてまどひ入るに、さと寄りて一足《ひとあし》づつ蹴る。
「のちの事いかでぞある、いかでぞある。」

(新日本古典文学大系18『落窪物語 住吉物語』岩波書店、1989年、p. 178、一部表記を改める。)

「しれものは~」という表現は、枕草子にもあった。「うへにさぶらふ御猫は」の段。「『翁丸、いづら。命婦のおとどくへ』といふに、まことかとて、しれものははしりかかりたれば」云々(池田亀鑑校訂『枕草子』岩波文庫、p. 30)。「愚かにも」といったような意味合いの慣用表現だったのだろうか。

「それはいかに言はするぞ」は、「お前(=これなり)はどうしてそんなことを言わせておくのだ(=どうにかしろ)」ということ?

さて後日、あんまりなこの騒ぎには男君の父である右大臣も眉をひそめ、女君(=おちくぼの君)も快く思わない。ただ衛門(=あこき)だけがかつての怨恨を晴らしたとばかりに嬉々としている。ここは女君と衛門との温度差がちょっと問題になっている雰囲気なんだけど(p. 182、女君が衛門に「そんなふうならあなたはもうわたしじゃなくて男君の侍女になっておしまいなさい」と言い、衛門も売り言葉に買い言葉めいたことを言う)、それがその後べつにどうという話に展開していくわけでもない。このやりとりは、二人の性格を対照的に示すことを意図した、幼なじみの主従の間柄だからできるきわどい冗談ということなのか。

2009-02-19

サンデー的ラブコメ

女君と一緒になって毎日が楽しい男君。

「いといみじき事かな。げにいかにいみじうおぼえ給ふらん。」
など語らひ給ふほどに、中将の君、うちよりいといたう酔ひまかでたまへり。
いと赤らかにきよげにておはして、
「御遊びに召されてこれかれにしいられつる、いとこそ苦しかりつれ。笛仕うまつりて、御ぞかづけ事侍り。」
とて持ておはしたり。ゆるし色のいみじくかうばしきを、
「君にかづけたてまつらん。」
とて、女君にうちかづけ給へば、
「何の禄ならん。」
とてわらひ給ふ。

(新日本古典文学大系18『落窪物語 住吉物語』岩波書店、1989年、pp. 158-159)

さて帯刀の母は男君の乳母である。乳母としては男君にはおちくぼの君などという素性の知れない女よりはもっと由緒正しい妻を持ってほしいと考え、時の右大臣の娘との縁談を勝手に進めてしまう。衛門(=あこき)は人の噂から初めてその話を知る。

「君は右大臣殿の婿になり給ふべかなり。この殿に知り給へりや。」
といへば、衛門、あさましと思ひて、
「まださるけしきも聞こえず。たしかなる事か。」
と言へば、
「まことに、四月にとていそぎ給ふ物を。」

(同書、p. 160)

衛門から男君の縁談を聞いた女君(=おちくぼの君)の心はふさがる。しかし当人から直接聞いた話でもないので、面と向かってこちらから切り出すこともできない。ラブコメ的誤解の王道。男君は女君の様子が変わってしまったことに戸惑う。

中将、殿にまゐりて、いとおもしろき梅のありけるををりて、 「これ見たまへ。世のつねになん似ぬ。御けしきもこれになぐさみ給へ。」 と言ふ。女君、たゞかく聞こえ給ふ。

 うきふしにあひ見ることはなけれども人の心の花は猶うし

(同書、p. 163)

しかしやがて乳母の仕業が明らかになり、男君は女君の誤解を知る。

中将の君は、女君の例のやうならず思ひたるはこの事聞きたるなめり、とおぼしぬ。二条におはして、
「御心のゆかぬ罪を聞き明きらめつるこそうれしけれ。」
女、
「何ごとぞ。」
「右の大殿(おほいどの)の事なりけりな。」
とのたまへば、女、
「そらごと。」
とてほゝ笑みてゐ給へれば、

(同書、p. 168)

よかったですね。

ここはとくに言うことはなし。

2009-02-09

面白の駒 (2)

話が前後してしまい申し訳ないんだけど、面白の駒の話のところがけっこう読み応えあっておもしろいのでもうちょっと紹介。面白の駒も気の毒なんだけど、後々の展開を見るに、はるかに可哀想なのはむしろそれを押し当てられた四の君だ。

中納言家四の君のもとに三夜続けて男が通い(当時それが結婚の成立を意味した)、いよいよ親戚一同に新婿のお披露目というところ。

三夜目、中納言や、三の君の夫である蔵人の少将がお祝いのもてなしをしようと男を呼んでみると、その男は面白の駒(兵部の少)であった。ショックを受ける中納言。蔵人の少将などは普段から内裏で面白の駒をからかっていたような男だったから、遠慮もなくげらげらと笑い出す始末である。せっかく用意した宴の席もしらけてしまうが、空気の読めない面白の駒はさっさと四の君の寝所へと乗り込んでいく。

朝、邸の侍女たちも相手が面白の駒とわかると、だれがあんな男にとばかりにまるで世話をしない。それで兵部の少と四の君はいつまでたっても寝所で放置されている。そうして日は高くなり、四の君は寝所に伏したまま、そこで初めて自分が一緒になった異形の男をまざまざと目にするわけである。

恐れをなして寝所を這うように抜け出す四の君に母北の方が駆け寄る。北の方は(男君が兵部の少にした入れ知恵のせいで)娘が本人の意志で面白の駒と付き合ったと思いこんでいるから、どうしてなにも言わないで自分たちに派手なお披露目なんてさせたのかと四の君を責める。男の顔さえいま知ったばかりの四の君はわけもわからず泣くことしかできない。かわいそうだよなあ。

とはいえここは、気弱な中納言、癇癪持ちの北の方、豪胆な蔵人の少将、泣き虫の四の君(そしておめでたい面白の駒)と、各人物の性格が際だっていてうまいところだと思う。長いので引用はしないけど、生き生きとした描写。

さてその後。

夕さり来たるに、四の君泣きてさらにいで給はねば、おとど腹立ち給ひて、

「かくおぼえたまひけん物をば、何しかはしのびては呼び寄せ給ひし。人の知りぬるからにかく言ふは、親、はらからに二方に恥を見せたまはんとや」

と添ひゐて責め給へば、いみじうわびしながら泣く泣く出で給ひぬ。少、泣き給ふをあやしと思ひけれど、物も言はで臥しぬ。

かくをんなもわびしと思ひわび、北の方も取り放ちてんとまどひ給へど、おとどのかくの給ふにつつみて、出で給ふ夜、出で給はぬ夜ありけるに、宿世《すくせ》心憂かりけることは、いつしかとつはり給へば、

「いかでと産《む》ませんと思ふ少将の君の子は出で来で、このしれものの広ごること」

とのたまふを、四の君ことわりにて、いかで死なんと思ふ。

(新日本古典文学大系18『落窪物語 住吉物語』岩波書店、1989年、p. 140、一部表記を改める。)

拙訳。

(兵部の少が)夕方またやって来たものの、四の君は泣いて姿をお見せにならない。父中納言殿がご立腹のあまり四の君の側まで来て

「それほど嫌うような男をどうしてひそかに通わせなどしていたのだ。世間に知られた途端にそんなだだをこねるとは、親兄弟に恥をかかせるおつもりか」

と強く説得なさってようやく、肩を落としたまま泣く泣くお相手に向かわれた。兵部の少は四の君が泣いているのを不思議に思いはしたものの、これといって声をかけることもなく黙って寝所に臥し入った。

こうして四の君は思い沈み、北の方もなんとか別れさせようとあれこれ思い悩み、父中納言殿の言いつけに従ってお相手をする夜もあったが、あれこれ言い繕って姿を見せなかったりもした。しかしなんの宿世であろうか、四の君ははやくも身重の体となっていた。

「どうにかと願った少将の君の子を賜るどころか、この痴れ者の子を持とうとは」

と中納言殿が嘆くのを聞き、四の君は早く死んでしまいたいと思うのであった。

男君は「あとで俺がちゃんと面倒を見るから」とか言っているが、じつはそのフォローは超やっつけである。物語の最後になっても四の君は不憫な目にしか遭わない。脇役だけにそれが顧みられることもなく、ある意味この物語でいちばん可哀想な人かもしれない。それについては後述したい。

2009-01-29

従者の投石

男君の仕返しの続き。

男君一行が清水(きよみづ)詣でに出かけたところ、偶然中納言家北の方一行の乗る車(牛車のことね)に遭遇する。いやがらせの機会を逃さない男みちより。

「中納言殿の北の方しのびてまうで給へるに。」
と言ふに、中将(男君)、うれしくまうであひにけり、と下(した)にをかしくおぼえて、
「をのこども、「さきなる車とく遣れ」と言へ。さるまじうはかたはらに引き遣らせよ。」
とのたまへば、御前(ごぜん)の人々、
「牛よわげに侍らば、えさきにのぼり侍らじ。かたはらに引き遣りてこの御車を過ぐせ。」
と言へば、中将、
「牛よわくは面白の駒にかけ給へ。」
とのたまふ声、いとあいぎやうづきてよしあり。車にほの聞きて、
「あなわびし。たれならん。」
とわびまどふ。なほさきに立ちて遣れば、中将殿の人々、
「え引き遣らぬ、なぞ。」
とてたぶてを投ぐれば、中納言殿の人々腹立ちて、
「ことと言へば、大将殿ばらのやうに。中納言殿の御車ぞ。はやう打てかし。」
と言ふに、この御供(とも)のざふしきどもは、
「中納言殿にもおづる人ぞあらん。」
とて、たぶてを雨の降るやうに車に投げかけて、かたやぶに集まりておし遣りつ。御車どもさき立てつ。御前よりはじめて人いと多くて打ちあふべくもあらねば、かたを堀に押しつめられて、ものも言はである、
「なかなかむとくなるわざかな。」
と、いらへしたるをのこどもを言ふ。

(新日本古典文学大系18『落窪物語 住吉物語』岩波書店、1989年、pp. 146-147、一部表記を改める。)

拙訳。

「中納言殿の北の方が、お忍びでお参りにいらしているのです」
と言うので、中将殿はこれはいいところで出会ったとほくそ笑み、
「おまえたち、前の車をもっと急がせろ。言うことを聞かなかったら横にどかせてこの車を通させるんだ」
と命令する。そこで従者たちが、
「牛が疲れていては前にいられまい。傍らによせて我らの車を先に通せ」
と言うと、中将殿は続けて
「牛が疲れたのなら面白の駒に引かせなされ」
と声をおかけになった。いい声である。北の方は車の中でその声を聞き、
「なんとひどい、誰であるぞ」
とうろたえている。それでもそのまま車を進めていると、中将方の者たちは
「どけないというのか」
と言って石を投げつけてきた。中納言方の男たちはこれに憤り、
「なにかにつけて大将様のようにしやがって、中納言殿のお車ぞ。やれるものならやってみろ」
と言うが、中将のお供の雑色たちは、
「中納言殿にも怖い人はあろう」
といって石を雨の降るように車に投げかけ、中納言方の車を脇に押しやり、とうとう中将殿の車を通させてしまった。多勢に無勢で太刀打ちできず、車の片側は堀に押し込まれ、中納言方の男たちはものも言わずに固まっている。中将殿の従者たちはそれを見て
「だまって通せばよかったものを」
と言いながら通り過ぎていく。

しかしひどい罵倒だ。自分が仕掛けたくせに。いい声である、じゃないよな。

車争いといえば源氏物語のが有名だけど、ここでは石が飛んでいる。こうした光景はただお話の中だけではなかったらしい。『殴り合う貴族たち』(2005年)という本に、平安時代の貴族の従者たちが他の貴族の車に石を投げたことについての記述がある。

そして、その行列見物の場で事件が起きた。藤原実資の『小右記』によれば、永延元年(九八七)の四月十七日、その月の二度目の酉日のことであった。

三十三歳の右近中将藤原道綱は、いつものように賀茂祭使の行列を見物しようと、この日も牛車に乗って出かけた。その車には二十二祭の左少将藤原道長が同乗していたが、二人の向かった先は、やはり、祭使の行列が賀茂川に向かって東進する一条大路あたりであったろうか。

もちろん、この日に行列見物に出ていたのは、道綱・道長の二人だけではなかった。二人が向かった先にはすでに右大臣藤原為光が大勢の従者たちを引き連れて到着しており、その一行によって見物に都合のよい場所は占拠されてしまっていた。

そのため、道綱・道長の乗る牛車は、他によさそうな場所を探そうと、為光の乗る牛車の前を横切った。そこが一条大路であったとすれば、為光一行の占めていた場所よりもさらに東へ行って見物しようとしたのかもしれない。

が、これがまずかった。

道綱・道長の牛車が為光の牛車の前を横切るや、為光の連れていた大勢の従者たちが、そこいらに落ちている石を拾って道綱・道長の牛車に投げつけてきたのである。右大臣ともなれば、その外出時に率いる従者の数は二十や三十には及んでいただろう。その従者たちがいっせいに石を投げつけてきたのである。これは甚だしい狼藉であり、道綱・道長の二人は、かなり肝を冷やしたに違いない。おそらく、そのあとはもう行列見物を楽しむどころではなかっただろう。

(繁田信一『殴り合う貴族たち――平安朝裏源氏物語』柏書房、2005年、pp. 59-61)

この、従者たちが石を投げるというのは平安朝ではひじょうに一般的なことだったらしい。同書には、当時平安京では大臣の家の前を通るときには車を降りて通らねばならなかったこととか、それを怠ると邸から激しい投石を浴びせられたといった話も紹介されている(pp. 120-122)。なんかそういうゲームが作れそうだな。

この投石は、当の大臣たちというよりもむしろその従者たちの習慣だったようだ。

王朝貴族たちに仕えた従者にしてみれば、自分の主人の権威は、高ければ高いほどよかったに違いない。主人の権威が高ければ、それだけ自分の格も上がるというものだ。それゆえ、彼らは、主人に無礼を働いてその権威を貶めるような者があれば、自らの手でその無礼者に制裁を加え、主人の権威を知らしめようとしたのではないだろうか。

(同書、p. 123)

おもしろい。僕はこの従者の投石の話がけっこう気に入ってるのよ。

同書は平安時代の血なまぐさくも人間的な側面を知ることができて楽しい本だ。古文を読み始めてからも、僕はあんまり「雅な王朝文化!」みたいなのには惹かれてなかったんだけど、そういう先入観は一面的なものだということがこれを読めばわかる。まあはじめから平安時代の雅やかなほうに憧れてきたという人はこれで平安時代が好きじゃなくなるかもしれないけどね。

2009-01-22

面白の駒

女君を中納言邸から盗み出すのに成功した男君は、彼女を二条殿という邸に据える。他の女を娶る話が来ても見向きもしない。そんな男君が次に取りかかるのが中納言家への仕返しである。もっとも自分がひどい目に遭わされたわけじゃないから、これは妻となった女君に代わっての、代理の復讐だ。頼まれてもいないのにそういうことをやる男みちより。

手はじめには、中納言家の四の君にろくでもない婿を押しつける。いきなりひどすぎる所業。

四の君には、実は当の男君自身との縁談が進んでいた。それを利用して、男君は「面白(おもしろ)の駒(こま)」とあだ名される彼の親戚、兵部の少を焚きつけて自分の替え玉として通わせる。

「面白の駒」というのは、兵部の少の馬みたいな顔をからかってそう呼んでいるのである。人前に出ると笑われるからといって自分の家に引きこもっていた、かわいそうなやつなのだ。そういう意味でここのくだりは二重にひどいよな。直接悪いわけじゃない四の君に望まない男を押しつけることといい、変な顔だからというだけの理由で人を体のいい復讐の道具として使うことといい。男君にしてみれば、北の方が典薬助を使っておちくぼの君にしかけた仕業を、そっくり北の方の愛娘にしかけることで北の方への復讐としているのだろうけどさ。

ここを読むと、源氏物語の末摘花の話も思い出されるが(男女の役割が逆だけど)、あれも器量に恵まれなかった末摘花のほうに同情的なトーンはまったくない(とのことだ、まだちゃんと読んでないけど)。

まあこのへんはけらけらとおおらかに笑って聞ける度量が必要だ。そういう牧歌的な時代でしたということで。翻って考えてみればここに偽善はない。

しかし「わらはずなりにしかばうれしくなん(最後まで笑わないでくれたのがうれしくて)」 (p. 134) などと何も知らずに喜んでいる面白の駒の文などを見ると、やっぱりこの人にはちょっとだけ同情的にもなる。

2009-01-15

典薬のぬし、くすしなり

ここもうまい。

おちくぼの君が男君を通わせていることは、北の方に知られてしまう。憤った北の方は、おちくぼの君を離れの部屋からさらに狭くて薄汚い小部屋へと移して閉じ込めてしまう。さらに、典薬助(てんやくのすけ)という色好みの老人を焚きつけ、おちくぼの君を手籠めにさせてしまうよう計画する。

閉じ込められたおちくぼの君は、あこきを通じて北の方の陰謀を知る。いよいよ典薬助が忍び寄ろうというその夜、目を覚ました北の方はおちくぼの君の部屋を覗きに行く。身の上を嘆いてしくしくと泣くおちくぼの君に北の方が言葉をかける。

北の方、かの典薬助の事により起きまして、部屋の戸引きあけて見たまふに、うつぶし臥していみじく泣く。いといたく病む。
「などかくはのたまふぞ」
と言へば、
「胸のいたく侍れば。」
と息の下に言ふ。
「あないとほし。ものの罪かとも。典薬のぬし、くすしなり。かい探らせたまへ。」
と言ふに、たぐいなくにくし。
「何か。風にこそ侍らめ。くすし要るべき心ちし侍らず。」
と言へば、
「さりとも胸はいとおそろしきものを。」

(新日本古典文学大系18『落窪物語 住吉物語』pp. 101-102、一部表記を改める。)

拙訳。

「どうしてそんなに泣いておる」
「胸が痛いのでございます」
おちくぼの君が答えると、
「それはお気の毒。あるいはこれはなにかの罰かも……。典薬助は薬師であるぞ。その体、触ってみてもらいなされ」
北の方の意地悪なことはこの上ない。おちくぼの君が、
「大丈夫でございます。風邪でございましょう。薬師の要るほどではございません」
と言うと、北の方、
「とはいえ、胸の病はなんともおそろしいもの」

北の方はもちろんおちくぼの君がこのあとどうなる運命かを知っている。そしておちくぼの君も、あこきを通じて事情を聞いていて、それが他ならぬ北の方によって仕組まれているということを知っている。そのうえでこの会話が交わされている。この緊張感。北の方の言葉は原文のほうがアヤしくていいね。

2009-01-08

「遅く~する」

男君(みちより)がおちくぼの君の元へ会いに来た夜が明けて次の日。おちくぼの君の部屋である離れにはまだ男君が臥している。継母である北の方がおちくぼの君の部屋にやってくる。襖を開けようとするが開かない。あこきが開けさせないのである。

かうて、昼まで二所(ふたところ)臥い給へる程に、例はさしも覗きたまはぬ北の方、中隔ての障子をあけ給ふに、固ければ、
「これあけよ。」
とのたまふに、あこきも君もいかにせんとわび給へば、
「さはれ、あけ給へ。木丁(きちゃう)あげて臥せ給へらば、もの引きかづきて臥いたらん。」
とのたまへば、さしもこそ覗き給へとわりなけれど、遣るべき方もなければ、木丁つらにおし寄せて女君ゐ給へり。北の方、
「などおそくはあけつるぞ。」
と問ひ給へば、

(新日本古典文学大系18『落窪物語 住吉物語』岩波書店、1989年、pp. 54-55、一部表記を改めた)

ここでの北の方の「などおそくはあけつるぞ」という台詞について、「新大系」の脚注では次のように記している。

何でぐずぐずとは開けたところか。開けるのに時間がかかったのかと問う北の方らしい変な言い方。まだあこきは開けない。

(同上)

なんだかよくわからない説明だ。北の方らしい云々というのは、継母である北の方の台詞回しには聞き慣れない言葉が多くあるという。「新大系」はこれを北の方という人物におかしな言葉を使う滑稽な性格を与えようとしたとも考えられるということで、そう書いているのだ。まあそうと断言まではしてないけど。

しかし、この「遅く~する」という表現については、『古代日本語文法』(2007年)という本に次のような説明がある。

連用修飾語「遅く~」は現代語の感覚で解釈すると誤るので、注意が必要です(岡崎正継 1973)。

  • (21) 灌仏率て参りて、御導師遅く参りければ、日暮れて御方々より童べ出だし、布施などおほやけざまに変らず心々にし給へり。(源氏・藤裏葉)

(21)は、「御導師がおくれて参上したので」の意ではなく、「時間になっても参上しない」の意です。

  • (22) 大納言の遅く参り給ひければ、使を以て遅き由を関白殿より度々遣はしけるに(今昔 24-33)
  • (23) 夜明けぬれば、介、朝(つとめて)遅く起きたれば、郎等粥を食はせむとてその由を告げに寄りて見れば、[介ハ]血肉(ちじし)にて死にて伏したり。(今昔 25-4)

(23)では、介は死んでいたわけで、「遅く起く」が「遅く起きた」のではなく、「起きる時間になっても起きない」の意であることがわかります。

(小田勝『古代日本語文法』おうふう、2007年、p. 137)

だから、「などおそくはあけつるぞ」というのは「どうして(いつまでたっても)開けないのだ」ということで、変な言い方でもなんでもない。

古い本だとその後の研究でわかった新しいことが反映されていないことがある。全集なんて何度も改訂するもんじゃないし。注釈も、一読してぴんとこないものは鵜呑みにしないで自分の頭で考えてみたほうがいいと思う。本居宣長も『玉勝間』でそんなようなこと言ってたぜ。

北の方が変な言い方をするキャラクターだというのも、ちょっとあやしいような気がしている。見慣れない単語が多いとしても、おそらく言葉遣いが汚いとか、そういうことなんじゃないのかな。おかしな文法でしゃべるキャラクターって、それどこのアニメだよ。

2009-01-05

落窪物語導入部

どういう物語か書かずに話を先に進めるところだった。

いまはむかし、中納言なる人の、むすめあまた持(も)給へるおはしき。大君(おほいぎみ)、中の君には婿取りして、西の対(たい)、ひんがしの対にはなばなとして住ませたてまつり給ふに、三、四の君、裳着せたてまつり給はんとて、かしづきそしたまふ。

又、ときどき通ひ給ひけるわかうどほり腹の君とて、母もなき御むすめおはす。北の方、心やいかがおはしけん、仕うまつる御(ご)たちのかずにだにおぼさす、寝殿の放出(はなちいで)の、また一間(ひとま)なる、おちくぼなる所の二間なるになん住ませ給ひける。

きんだちとも言はず、御方とはまして言はせ給ふべくもあらず。名をつけんとすれば、さすがにおとどのおぼす心あるべしとつつみ給ひて、
「おちくぼの君と言へ。」
との給へば、人々もさ言ふ。おとゞもちごよりらうたくやおぼしつかずなりにけむ、まして北の方の御ままにて、わりなきこと多かりけり。

(新日本古典文学大系18『落窪物語 住吉物語』p. 3、一部表記を改める。)

拙訳。

今は昔、姫君をたくさんお抱えの中納言殿がいらっしゃった。大君と中の君にはすでに婿を取らせ、西と東の対にはなばなと住まわせていた。三の君、四の君にもはやく裳着をさせようと、後ろ見に余念がなかった。

中納言殿にはまた、かつてときどき通っていた皇統の女が忘れ形見に残した娘君もいらっしゃった。北の方(正妻)はなにを思ってかこの娘君を屋敷の侍女たちよりもぞんざいに扱い、寝殿から延びる離れの部屋のそのまた端の、落ち窪んだところ二間ばかりを与えてそこに住まわせていた。

北の方はこの娘君を姫と呼びもせず、また娘君に自分のことをお方様と呼ばせることも許さなかった。娘君のことを呼ぶ時には、北の方も中納言殿に気を遣ってのことであろうか、
「おちくぼの君とお言いなさい」
とおっしゃるので、家の者はみなそう呼んでいた。中納言殿もこの娘君が大きくなるにつれて愛情が薄れたのか、北の方のするがままにさせておくので、娘君はいつも理不尽な目に遭わされることばかりであったという。

北の方というのはつまりは継母だ。日本版シンデレラなどといわれたりもするけど、そんな話。継母にいじめられる話というのは王朝物語のひとつの類型だったらしい、というのをどこかで読んだ気がする。まあそれは思い出したときにまた書こう。

しかし手際いい。これは冒頭なんだけど、十行程度でどういう物語がこれから始まるのか、シチュエーションを説明しきっている。始まって20分くらいでヒーローの誕生とその背景を描ききってしまう映画「スパイダーマン」みたいだ。

裳着といのうは、「女子が成人のしるしに初めて裳を着る儀式。十二、三、四歳のころ、結婚前に髪上げの儀式と同時に行った。男子の「元服」にあたる [旺文社 全訳古語辞典第三版]」ものらしい。

2009-01-02

エンターテインメントな落窪物語

いまは「落窪物語」を読んでいる(新日本古典文学大系18『落窪物語 住吉物語』)。

我ながら源氏買ったんならそれ読めよ、とも思うけど、目下古文はそれだけというのではつまんないし、源氏以前の物語を知っておくのも必要だということで。

そして面白い。

「落窪物語」では、本にして数ページごとに必ずサスペンスというか、読者(あるいは聞き手)が先を知りたくなるようなイベントが起こる。これは明らかにエンターテインメントというものを意識してそう書かれている。当時物語は読んで聞かされて消費されてたわけだけど、これなら聞いてて飽きないし、「今日はここまで」なんてやられたらみんな続きを聞きたくてうずうずしたに違いない。作者はなかなか考えてる。また、書き手のそういう「飽きさせない工夫」からは、当時物語が娯楽としていかに成熟していたかということもうかがい知ることができる。最初のページから、さっそく「もっと読みたい」と思わせられたからね。つかみがうまい。

これ現代語訳したいな。

「落窪」のひとつの特徴は、物語のヒロインおよびヒーローは中納言の娘である「女君(おちくぼの君)」と左大将の長男である「男君(みちより)」なのだけど、それぞれの世話係兼幼馴染みである「あこき」「帯刀(たちはき)」のほうがかれら以上に大活躍するというところ。帯刀はあこきのもとに通う男でもある。

みちよりが将来太政大臣にまでなるのに対して、帯刀は三河の守に出世する。主従二組のカップルにそれぞれ「身の程にふさわしい」ハッピーエンドを用意しているわけだ。このへんは、源氏と惟光の造形なんかにも影響を与えてるのかもしれない。あこきや帯刀のように、それほど身分の高くない女房や貴族たちも、物語の主要な消費者というか、「お客さん」だったんだろうと思われる。お姫様の話ばっかりでは、女房たちは感情移入できなかったろう。あこきのいじらしくもかいがいしくおちくぼの君のために奮闘する姿になら、女房たちは自身を重ねることができる。

そういうわけで、「落窪」には深い文学性は(読んでるいまのところは)ないのだが、筋は面白い。テレビドラマみたいだよ。書き手の「こうすると面白いだろ」といわんばかりの工夫が垣間見えるのも楽しい。