四月は忙しくてここにぜんぜん記事を書けなかった。百回までという決めた回数の残りもあるから、いいかげんなのでお茶を濁す気にもならず、間が空いてしまった。
ずいぶん前から読みたかった武田宗俊『源氏物語の研究』(岩波書店)を最近ようやく手に入れた。思ったよりも薄い本だったんだな。これは、以前に紹介した源氏物語の執筆順序について、玉鬘系が紫上系にあとから追加挿入されたということを明らかにしたその論文が収録されている本だ。
それにしても、実物を読む前から薄々は感じてたけど、この人はほんとに頭いい人なんだなと思った。源氏関係の本でこんな明晰な文章初めて見た。そのうえ観察眼が鋭い。とくに玉鬘系の登場人物が紫上系に出ていないこととか、「竹河」の男踏歌の描写が「初音」の剽窃であることとか。これを指摘された当時の研究者たちはさぞくやしかったろうね。
この本は昭和二十九 (1954) 年に初版発行だが、昭和五十八 (1983) 年に復刊し、その際に吉岡曠氏の解説が付けられたようだ。僕が入手したのは平成六年 (1994) 年の第三刷。
1983 年に書かれたこの解説を見るに、武田氏の玉鬘系後記説がその時点でなおほぼ完全に孤立していたということがわかる。いまこうして源氏読んでるひとりの人間の感想として、これはなんとも驚くべきことだ。古文でいうなら「あさまし」。武田説に賛同している論のひとつ、大野晋『源氏物語』の刊行は 1984 年で、手元にはその岩波現代文庫版 (2008) があるが、それによれば、秋山虔「源氏物語――その主題性はいかに発展しているか――」(『日本文学講座Ⅱ 古代の文学 後期』河出書房、1950)、『源氏物語』(岩波新書、1968)、また山中裕「源氏物語の成立順序についての一考察」(「国語と国文学」1955年1月号)、吉岡曠『源氏物語論』(笠間書院、1972)を挙げて「武田氏の見解を積極的に発展深化させようとする意見の公式に発表されたものは右の他にほとんどない」としている(pp. 390-391)。
さすがにいまはもっと認められていると思うけど、定説とまでは至っていないのかな。今の国文の院生たちあたりの意識だとどんなもんなんだろうね。しかしこの本が出て半世紀以上たっている。
ウィキペディアなどではまるでこれがいまだ議論の最中にあるかのような書きぶりで両論併記がなされているが、これまで読んできたこと(源氏の本文含めて)から言わせてもらえば、これは議論の対象というよりは見つかった新たな事実というべきもので、なんだかわからないあやふやな事態についてそれらしいことを述べたもののひとつみたいな扱いをいつまでもしてるようなものではない。これが発見された時代に生まれたことを素直に喜んでおいたほうがいい。この情報があるとないとで、源氏物語の見通しと内容理解には圧倒的な差がつくだろうから。
しかし 20 世紀までこのことに誰も気づかなかったというのもまた驚くような話ではある。なんでこんなに発見が遅かったのか。これは、注釈書にその原因があったのかもしれない。といってもそれが不正確だとかいう話ではなくて、逆に充実しすぎていたせいではないかと思う。
新体系でもなんでもいいけど、古典文学の全集の本文にはびっしりと脚注が付けられている。「中将」とか「中納言」とかの官職名にはほぼ確実に注が振ってあって、それが「源氏」とか「薫」とか登場人物の通称でいうところの誰なのかがかっちりと書いてある。だから読者は「中将云々」とある文を「源氏云々」と頭の中で置き換えて読み進めていく。それはそれでいい。が、「中将」「中納言」とあったもとの言葉の存在を忘れてしまうと、そこに本来あった情報を見落としてしまうことになる。
たとえばある巻で「左少将がどうした」と書いてあったとする。注がついていて、この左少将は柏木だと書いてある。それで読者は、ああ、柏木がどうこうしたんだな、と思う。後の巻で「中将がどうした」と書いてあって、ここにも注がついていてこれが柏木だと書いてある。それで、ああ、ここでも柏木がどうこうしたんだな、と思う。こういう読みかたをしていると、巻が変わったところで人物の呼称が急に変わったことに気づかない。ふつう呼び名となっている官職名が断りなしに変わったりしたら読者は混乱するはずで、こんなのは当たり前のことなのだが、注釈と併走して進む読みかたにどっぷりだとそれを疑問に思わなくなってしまう。ひどいと古文ではそれが常識でみんなそれでわかるものなんだと思っている人もいる(なにを隠そう数年前までの古文知らない僕がそうでした)。そんなわけないのだ。「左少将が中将になった」という記述がなければ、中将の呼称の指すところが誰なのかは当然見失われてしまう。
注釈における人物名の引き当ては、前後の文脈や巻を先回りして当てはめた、一種のネタバレ情報だ。生まれた赤ん坊がずっと先で薫の中将と呼ばれているから「若菜」の巻でその赤ん坊を薫とわれわれは呼んではいるけれども、「若菜」を読解するにあたってはその知識は押しやって、書かれていることだけを知りうるものとして扱わなければならない。そういう意味では、たとえば赤ん坊の記述に注を付けて「薫」と書くようなのはよけいなお世話とも言える。同じことが古来の注釈にも言えたように思う。
あくまでも本文の意味が通らない時の補助としての注釈であって、古文を読むのが本文と注釈の対応関係を追っていくだけの作業になってしまわないよう気をつけないといけない。
それはさておき、こんな重要かつ明晰な本が学術書とはいえなかなか入手しづらいというのはよくないぞ。岩波書店はそろそろこの本を重版すべき。
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