男君(みちより)がおちくぼの君の元へ会いに来た夜が明けて次の日。おちくぼの君の部屋である離れにはまだ男君が臥している。継母である北の方がおちくぼの君の部屋にやってくる。襖を開けようとするが開かない。あこきが開けさせないのである。
かうて、昼まで二所(ふたところ)臥い給へる程に、例はさしも覗きたまはぬ北の方、中隔ての障子をあけ給ふに、固ければ、
「これあけよ。」
とのたまふに、あこきも君もいかにせんとわび給へば、
「さはれ、あけ給へ。木丁(きちゃう)あげて臥せ給へらば、もの引きかづきて臥いたらん。」
とのたまへば、さしもこそ覗き給へとわりなけれど、遣るべき方もなければ、木丁つらにおし寄せて女君ゐ給へり。北の方、
「などおそくはあけつるぞ。」
と問ひ給へば、(新日本古典文学大系18『落窪物語 住吉物語』岩波書店、1989年、pp. 54-55、一部表記を改めた)
ここでの北の方の「などおそくはあけつるぞ」という台詞について、「新大系」の脚注では次のように記している。
何でぐずぐずとは開けたところか。開けるのに時間がかかったのかと問う北の方らしい変な言い方。まだあこきは開けない。
(同上)
なんだかよくわからない説明だ。北の方らしい云々というのは、継母である北の方の台詞回しには聞き慣れない言葉が多くあるという。「新大系」はこれを北の方という人物におかしな言葉を使う滑稽な性格を与えようとしたとも考えられるということで、そう書いているのだ。まあそうと断言まではしてないけど。
しかし、この「遅く~する」という表現については、『古代日本語文法』(2007年)という本に次のような説明がある。
連用修飾語「遅く~」は現代語の感覚で解釈すると誤るので、注意が必要です(岡崎正継 1973)。
- (21) 灌仏率て参りて、御導師遅く参りければ、日暮れて御方々より童べ出だし、布施などおほやけざまに変らず心々にし給へり。(源氏・藤裏葉)
(21)は、「御導師がおくれて参上したので」の意ではなく、「時間になっても参上しない」の意です。
- (22) 大納言の遅く参り給ひければ、使を以て遅き由を関白殿より度々遣はしけるに(今昔 24-33)
- (23) 夜明けぬれば、介、朝(つとめて)遅く起きたれば、郎等粥を食はせむとてその由を告げに寄りて見れば、[介ハ]血肉(ちじし)にて死にて伏したり。(今昔 25-4)
(23)では、介は死んでいたわけで、「遅く起く」が「遅く起きた」のではなく、「起きる時間になっても起きない」の意であることがわかります。
(小田勝『古代日本語文法』おうふう、2007年、p. 137)
だから、「などおそくはあけつるぞ」というのは「どうして(いつまでたっても)開けないのだ」ということで、変な言い方でもなんでもない。
古い本だとその後の研究でわかった新しいことが反映されていないことがある。全集なんて何度も改訂するもんじゃないし。注釈も、一読してぴんとこないものは鵜呑みにしないで自分の頭で考えてみたほうがいいと思う。本居宣長も『玉勝間』でそんなようなこと言ってたぜ。
北の方が変な言い方をするキャラクターだというのも、ちょっとあやしいような気がしている。見慣れない単語が多いとしても、おそらく言葉遣いが汚いとか、そういうことなんじゃないのかな。おかしな文法でしゃべるキャラクターって、それどこのアニメだよ。
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