いまは「落窪物語」を読んでいる(新日本古典文学大系18『落窪物語 住吉物語』)。
我ながら源氏買ったんならそれ読めよ、とも思うけど、目下古文はそれだけというのではつまんないし、源氏以前の物語を知っておくのも必要だということで。
そして面白い。
「落窪物語」では、本にして数ページごとに必ずサスペンスというか、読者(あるいは聞き手)が先を知りたくなるようなイベントが起こる。これは明らかにエンターテインメントというものを意識してそう書かれている。当時物語は読んで聞かされて消費されてたわけだけど、これなら聞いてて飽きないし、「今日はここまで」なんてやられたらみんな続きを聞きたくてうずうずしたに違いない。作者はなかなか考えてる。また、書き手のそういう「飽きさせない工夫」からは、当時物語が娯楽としていかに成熟していたかということもうかがい知ることができる。最初のページから、さっそく「もっと読みたい」と思わせられたからね。つかみがうまい。
これ現代語訳したいな。
「落窪」のひとつの特徴は、物語のヒロインおよびヒーローは中納言の娘である「女君(おちくぼの君)」と左大将の長男である「男君(みちより)」なのだけど、それぞれの世話係兼幼馴染みである「あこき」「帯刀(たちはき)」のほうがかれら以上に大活躍するというところ。帯刀はあこきのもとに通う男でもある。
みちよりが将来太政大臣にまでなるのに対して、帯刀は三河の守に出世する。主従二組のカップルにそれぞれ「身の程にふさわしい」ハッピーエンドを用意しているわけだ。このへんは、源氏と惟光の造形なんかにも影響を与えてるのかもしれない。あこきや帯刀のように、それほど身分の高くない女房や貴族たちも、物語の主要な消費者というか、「お客さん」だったんだろうと思われる。お姫様の話ばっかりでは、女房たちは感情移入できなかったろう。あこきのいじらしくもかいがいしくおちくぼの君のために奮闘する姿になら、女房たちは自身を重ねることができる。
そういうわけで、「落窪」には深い文学性は(読んでるいまのところは)ないのだが、筋は面白い。テレビドラマみたいだよ。書き手の「こうすると面白いだろ」といわんばかりの工夫が垣間見えるのも楽しい。
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