2009-01-12

賀茂保憲女集

賀茂保憲女集序文について紹介しておきたい。これまじやばいから。

この人は、定家があまり評価しなかったことが災いして、その後もあまり重要視されなかった歌人。賀茂氏というのは、天文道・陰陽道の家で、父の保憲は有名な人との関係でいうと、あの安倍晴明の師にあたる。その娘。彼女は和泉式部や赤染衛門などとはちがって、女房として内裏に出仕するような経験は持たなかった。華やかな宮廷文化に直接触れることはなく、賀茂氏の家の中で地味に暮らしていたのかもしれない。もっとも当時の女性は、そういう生き方をした人のほうが圧倒的多数だったと思う。

さてこの家集のおもしろい(と僕が思う)ところは、長くてどこか異様な序文である。恵まれなかった境遇を恨み、また自分は何者にも劣る存在だと卑下する。その一方で時折垣間見える自信。この両極端を一文ごとに揺れ動く、激しい文章なのだ。紫式部日記の神経症的な文章と比べると、紫式部が内側へ内側へと折りたたまっていく鬱ぶりなのに対して、賀茂保憲女にはどこか危険な方向に開けてしまった感じがある。

「自分は鳥・虫に劣り、木にも草にも並ばず、いわんや人並には及ぶべくもない存在だ」と書いた直後に、「人類は古来より自然を支配してきた」みたいなことを言い出す。世界観がなんだか壮大で、どこか SF チックというか、やっぱりこれは天文道・陰陽道というお家の影響なんだろうか。壮大なんだけど自閉的。

そして家集をものしたきっかけは、重い病を患ったこと。天然痘とも麻疹ともわからないが、かなり重病だったらしい。そこから回復するなりものすごい勢いでこの長い序文を書いた、と。文章に勢いがあって、たたみ込むような繰り返し表現も多い。家集のほぼ全体が一気に書かれたものらしい。この切羽詰まった勢いにもどこかヤバさを感じさせる。

世になき玉を磨けりといふとも、誰か手のうちに入れて、光を哀れびむと思へど、泥(でい)の中に生ふるを、遙(はるか)にその蓮(はちす)卑しからず。谷の底に匂ふからにその蓮卑しからず。

(和歌文学大系20『賀茂保憲女集/赤染衛門集/清少納言集/紫式部集/藤三位集』明治書院)

拙訳。

わたしの心に玉の光が宿ったとしても、その玉を手に取り慈しんでくれる者はいない。だが泥の中に咲こうとも、蓮(はちす)は圧倒的に尊いものではないか。たとえ谷の底深く人知れず香る花であっても、蓮は尊いものではないか。

この鬼気迫る「その蓮卑しからず」の繰り返しとかね。

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