2009-01-26

東野炎立所見而

ここでは基本的に平安時代の古文を扱うことにしてるので、万葉集は対象外なんだけど、まあ番外ということで。

年末年始に実家に帰って、テレビを久しぶりに見た。NHKでは年始に檀ふみが万葉集の歌を紹介する番組をやっていた。いいね、とばかりにそれをだらだら見ていたら、有名なあの歌がやっぱり出てきた。

東《ひむがし》の野にかぎろひの立つ見えて返《かへ》り見すれば月傾《かたぶ》きぬ

ここは「雄大ですなあ」とか、まあそんなことを言うところか。けど、この歌はどうやら本当はこういう歌ではなかったことがほぼ確実だという。

どういうことかというと、『万葉歌を解読する』(2004年)という本にこんなことが書いてある。

しかし、専門的な立場から見れば、人麻呂が詠んだのは本当に「東の野にかぎろひの立つ見えて…」というような表現を持つ歌なのかどうか、大いに疑問である。したがって、この歌に対する右のような解釈が妥当なものなのかどうかも疑わしい、ということになる。右にあげたのは一般に採用されている訓にすぎず、また口語訳もそれに基づいたものにすぎない。こう言えば驚く向きも少なくないと思うが、それは事実であり、あえて事を大げさに言っているのではない。

この歌は、十四の漢字で次のように表記されている。

1 東野炎立所見而反見為者月西渡

古い写本を見ると、この原文には「アツマノヽケフリノタテルトコロミテカヘリミスレハツキカタフキヌ」という訓が付されている。つまり、第一句から第三句までの <東野炎立所見而> は、もともと「東野《あづまの》の煙《けぶり》の立てる所見て」と解釈されていたのである。それを「みだり訓(いい加減な訓/まずい訓)」だと断定し、現在一般化している「東の野にかぎろひの立つ見えて…」という訓を考案したのが、江戸時代の賀茂真淵《かものまぶち》である。馬淵がこの新訓を提示してからは、研究者も歌人も「東野《あづまの》の煙《けぶり》の立てる所見て」という伝統的な訓と解釈を捨ててしまった。本節のこの項に、あえて「江戸時代に作られた『万葉集』の歌」という小見出しを付けたのは、現在の一般的な訓が馬淵の考案したものだからである。

写本の訓と馬淵の訓を比較すると、歌の格調は確かに馬淵の訓のほうが高いように感じられる。しかし、馬淵の訓に対して、文法学者たちが異議を唱えている。上代語の表現としては不自然な文法的要素がその訓に含まれている、というのである。それだけでなく、原文の第三字の <炎> や歌の末尾の <西渡> などの訓に対しても、多くの異論が出ている。

(佐佐木隆『万葉歌を解読する』NHKブックス、2004年、pp. 255-256)

この本ではこれに続けて、この歌の「より本当らしい」訓について文法的見地から考察が進められている。

たとえば「かぎろひの立つ見えて」という部分について。上代では助詞「の」は連体詞だから、そこからは「立つ」は連体形である必要がある。一方で、活用語+「見えて」という表現は活用語の終止形を受けるのが普通であった。つまりここでは「立つ」は終止形である必要がある。だから馬淵の訓は文法的には矛盾をはらんでいるというわけだ。なるほどー。(注意:ものすごく端折って言ってます。詳しくは本を。)

くだくだしく引用するのもはばかられるので、人麻呂のこの歌が本当はどのように訓ぜられるべきなのかの正解については同書を読んでくださいな。厳密な読解に触れることで、巷に跋扈する万葉集を好き勝手に読み替えるアレな企てがいかに恣意的でいい加減なものかというのがわかるという意味でもおすすめ。

2009-01-22

面白の駒

女君を中納言邸から盗み出すのに成功した男君は、彼女を二条殿という邸に据える。他の女を娶る話が来ても見向きもしない。そんな男君が次に取りかかるのが中納言家への仕返しである。もっとも自分がひどい目に遭わされたわけじゃないから、これは妻となった女君に代わっての、代理の復讐だ。頼まれてもいないのにそういうことをやる男みちより。

手はじめには、中納言家の四の君にろくでもない婿を押しつける。いきなりひどすぎる所業。

四の君には、実は当の男君自身との縁談が進んでいた。それを利用して、男君は「面白(おもしろ)の駒(こま)」とあだ名される彼の親戚、兵部の少を焚きつけて自分の替え玉として通わせる。

「面白の駒」というのは、兵部の少の馬みたいな顔をからかってそう呼んでいるのである。人前に出ると笑われるからといって自分の家に引きこもっていた、かわいそうなやつなのだ。そういう意味でここのくだりは二重にひどいよな。直接悪いわけじゃない四の君に望まない男を押しつけることといい、変な顔だからというだけの理由で人を体のいい復讐の道具として使うことといい。男君にしてみれば、北の方が典薬助を使っておちくぼの君にしかけた仕業を、そっくり北の方の愛娘にしかけることで北の方への復讐としているのだろうけどさ。

ここを読むと、源氏物語の末摘花の話も思い出されるが(男女の役割が逆だけど)、あれも器量に恵まれなかった末摘花のほうに同情的なトーンはまったくない(とのことだ、まだちゃんと読んでないけど)。

まあこのへんはけらけらとおおらかに笑って聞ける度量が必要だ。そういう牧歌的な時代でしたということで。翻って考えてみればここに偽善はない。

しかし「わらはずなりにしかばうれしくなん(最後まで笑わないでくれたのがうれしくて)」 (p. 134) などと何も知らずに喜んでいる面白の駒の文などを見ると、やっぱりこの人にはちょっとだけ同情的にもなる。

2009-01-19

昔より、よしなき物語、歌のことをのみ心にしめで、夜昼思ひて、おこなひをせましかば、いとかかる夢の世をば見ずもやあらまし。初瀬にて、前のたび、稲荷より賜ふしるしの杉とて、投げいでられしを、出でしままに稲荷にまうでたらましかば、かからずやあらまし。年ごろ天照御神を念じ奉れと見ゆる夢は、人の乳母して内わたりにあり、御門きさきの御かげに隠るべきさまをのみ夢ときも合はせしかども、そのことは一つかなはでやみぬ。ただ悲しげなりと見し鏡の影のみたがはぬ、あはれに心憂し。かうのみ、心に物のかなふ方なうてやみぬる人なれば、功徳もつくらずなどしてただよふ。

(西下経一校注『更級日記』岩波文庫、p. 68)

2009-01-15

典薬のぬし、くすしなり

ここもうまい。

おちくぼの君が男君を通わせていることは、北の方に知られてしまう。憤った北の方は、おちくぼの君を離れの部屋からさらに狭くて薄汚い小部屋へと移して閉じ込めてしまう。さらに、典薬助(てんやくのすけ)という色好みの老人を焚きつけ、おちくぼの君を手籠めにさせてしまうよう計画する。

閉じ込められたおちくぼの君は、あこきを通じて北の方の陰謀を知る。いよいよ典薬助が忍び寄ろうというその夜、目を覚ました北の方はおちくぼの君の部屋を覗きに行く。身の上を嘆いてしくしくと泣くおちくぼの君に北の方が言葉をかける。

北の方、かの典薬助の事により起きまして、部屋の戸引きあけて見たまふに、うつぶし臥していみじく泣く。いといたく病む。
「などかくはのたまふぞ」
と言へば、
「胸のいたく侍れば。」
と息の下に言ふ。
「あないとほし。ものの罪かとも。典薬のぬし、くすしなり。かい探らせたまへ。」
と言ふに、たぐいなくにくし。
「何か。風にこそ侍らめ。くすし要るべき心ちし侍らず。」
と言へば、
「さりとも胸はいとおそろしきものを。」

(新日本古典文学大系18『落窪物語 住吉物語』pp. 101-102、一部表記を改める。)

拙訳。

「どうしてそんなに泣いておる」
「胸が痛いのでございます」
おちくぼの君が答えると、
「それはお気の毒。あるいはこれはなにかの罰かも……。典薬助は薬師であるぞ。その体、触ってみてもらいなされ」
北の方の意地悪なことはこの上ない。おちくぼの君が、
「大丈夫でございます。風邪でございましょう。薬師の要るほどではございません」
と言うと、北の方、
「とはいえ、胸の病はなんともおそろしいもの」

北の方はもちろんおちくぼの君がこのあとどうなる運命かを知っている。そしておちくぼの君も、あこきを通じて事情を聞いていて、それが他ならぬ北の方によって仕組まれているということを知っている。そのうえでこの会話が交わされている。この緊張感。北の方の言葉は原文のほうがアヤしくていいね。

2009-01-12

賀茂保憲女集

賀茂保憲女集序文について紹介しておきたい。これまじやばいから。

この人は、定家があまり評価しなかったことが災いして、その後もあまり重要視されなかった歌人。賀茂氏というのは、天文道・陰陽道の家で、父の保憲は有名な人との関係でいうと、あの安倍晴明の師にあたる。その娘。彼女は和泉式部や赤染衛門などとはちがって、女房として内裏に出仕するような経験は持たなかった。華やかな宮廷文化に直接触れることはなく、賀茂氏の家の中で地味に暮らしていたのかもしれない。もっとも当時の女性は、そういう生き方をした人のほうが圧倒的多数だったと思う。

さてこの家集のおもしろい(と僕が思う)ところは、長くてどこか異様な序文である。恵まれなかった境遇を恨み、また自分は何者にも劣る存在だと卑下する。その一方で時折垣間見える自信。この両極端を一文ごとに揺れ動く、激しい文章なのだ。紫式部日記の神経症的な文章と比べると、紫式部が内側へ内側へと折りたたまっていく鬱ぶりなのに対して、賀茂保憲女にはどこか危険な方向に開けてしまった感じがある。

「自分は鳥・虫に劣り、木にも草にも並ばず、いわんや人並には及ぶべくもない存在だ」と書いた直後に、「人類は古来より自然を支配してきた」みたいなことを言い出す。世界観がなんだか壮大で、どこか SF チックというか、やっぱりこれは天文道・陰陽道というお家の影響なんだろうか。壮大なんだけど自閉的。

そして家集をものしたきっかけは、重い病を患ったこと。天然痘とも麻疹ともわからないが、かなり重病だったらしい。そこから回復するなりものすごい勢いでこの長い序文を書いた、と。文章に勢いがあって、たたみ込むような繰り返し表現も多い。家集のほぼ全体が一気に書かれたものらしい。この切羽詰まった勢いにもどこかヤバさを感じさせる。

世になき玉を磨けりといふとも、誰か手のうちに入れて、光を哀れびむと思へど、泥(でい)の中に生ふるを、遙(はるか)にその蓮(はちす)卑しからず。谷の底に匂ふからにその蓮卑しからず。

(和歌文学大系20『賀茂保憲女集/赤染衛門集/清少納言集/紫式部集/藤三位集』明治書院)

拙訳。

わたしの心に玉の光が宿ったとしても、その玉を手に取り慈しんでくれる者はいない。だが泥の中に咲こうとも、蓮(はちす)は圧倒的に尊いものではないか。たとえ谷の底深く人知れず香る花であっても、蓮は尊いものではないか。

この鬼気迫る「その蓮卑しからず」の繰り返しとかね。