すでに引用したことがあるけど、『古代日本語文法』という本について紹介しておきたい。
この本は古文の文法書で、冒頭の「はしがき」によれば「現代語の記述文法の枠組みで、古代語文法を記述している」のが特色だという。そもそも他の文法書をあまり読んでないので、それによって同書がどの程度際だっているのかは、僕は知らない。それはそれとして、古文の「語」ではなくて「用法」について広く解説してあるので、古語辞典の補助として使えます。
単語がわからないのは辞書引けばいいからあんまり大したことじゃなくて、用法がわからないほうがじつはいかんともしがたい。先日の「遅く~する」がいい例。それに古文の難解な個所というのはたいてい単語はそんなに難しくなくて、どうして、どういう意味で、そういう言葉遣いになっているのかというところが難しい。なかんずく助詞と助動詞。僕はそういうときはまず岩波古語辞典の「基本助動詞・助詞解説」をひたすら読み返す、それでもぴんとこなかったらこの本で該当する解説がないか探す、というのがパターンになっている。
僕がこの本でいいと思ったところは、古典の文法について、現在までにわかっていることだけでなく、わかっていないことまで書かれているという点。
たとえば、古文の基本である係り結びについて。僕が高校で係り結びについて教わったのは、まず、コソが表れたら已然形で終わるとかの形式上のルール、それからそれらが意味としては「強調」だということくらいだった。まあこれはこれで「教えてる」ことにはなるのかもしれない。さて、同書の係り結びの節はこうだ。
係り結びは、その頻度からみて、古代語の構文上、かなり本質的な役割を担っていたであろうと思われますが、その役割については今のところ不明です。また、(1a) ~ (1c) の間に、どのような表現価値の差があるのかについても、まだよくわかっていません。
(1)a 木の間より花とみるまで雪ぞ降りける(古今331) b 「雪なむいみじう降る」と言ふなり。(蜻蛉) c 妻戸押し開けて、「雪こそ降りたりけれ」と言ふほどに(蜻蛉) (小田勝『古代日本語文法』おうふう、2007年、p. 187)
「今のところ不明です」「まだよくわかっていません」だよ。このあけすけな誠実さを見よ。でも、こういうふうにはっきり言ってもらったほうが、自分はそのことについてよく考えてみようという気になる。
もともと古文を読み始めた頃から、僕は「コソ+已然形も強調、ゾ+連体形も強調、シも強調、シモも強調って、じゃあそれぞれの強調の表現は互いに交換可能なのか?」と言っていた(英語学習でやる強調構文の書き換え演習が念頭にあって)。この本を読んでそういう疑問の持ち方が支持された気持ちもした。やっぱり自分の頭で考えないと。
「よくわからない」と感じた部分こそ大事だということと、それについて考えるための方法論について、世の中の教科書はもっと重視したほうがいいね。高校の頃に見た教科書は、いってみればなんでもわかっているふりをしていたわけで。
話がそれた。あと、この本では今世紀に入ってからの新しい研究成果を取り入れているのも特徴。大野晋とか、おもしろいんだけど、やっぱり新しくても90年代なので、その後の進展も知りたい。現在の研究状況を概観するのにもいいかと。いや、僕は研究しないから他の方々にとってということでね。
文法事項ごとの解説の集積なので、頭から順番に読んでいく読みものにはならないけど、リファレンスとして脇に置いておくのにはいいです。今後も何度か引用すると思う。
さて、じつは以前この本からの引用を載せたとき、著者である小田氏からホームページ経由でコメントをいただいてしまった。ここがインターネットだということを忘れていたぜ。もとは大学用のテキストとして書かれた本だったそうです。また内容を増強した一般向けの「詳説版」も来年秋(「今年」の間違いじゃなければ、ずいぶん先の話だ)に出されるとのこと(こんなところに書いても宣伝にはならないけれど)。
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返信削除感想は書かれてなかったから、1発目はいかがですか?
勉強でもなく研究でもなく、専門家でない人が古文そのものを楽しんで紹介するのって、あまりないのでは?
・・・と思ったけど、2ちゃんねるの古文・漢文板ってスレがたくさんありますね。
お、KITIさんだ。こんにちは!
返信削除紹介というか、自分用の覚え書きみたいなものですけどね。
枕草子とか源氏物語とか、作品でなら愛読者のサイトがたくさんあるでしょうね。
わかるところじゃなくて「ここがわからん」というのを楽しむ人は、あまりいないか。
何もかもわかってしまったら、つまらないと思いますよ。
返信削除宇宙の話し、脳や心の話しなど、我々はここまでわかってきた、でもまだまだわからないことがたくさんある・・・という話しは、ロマンがあるし、エキサイティングですね。
コンピュータ関係だと知ったかぶりの人がいて辟易することが多いですが、素直に謙虚になれる世界があるんですよね。
『古代日本語文法』の愛読者です。
返信削除新しい学説を取り入れながらも、6つの活用形を維持していたり、既存の学校文法との接続もよくて、抵抗なく読むことができました。
既存の学校文法で特に問題なのは尊敬語・謙譲語・丁寧語という敬語三分類ですが、『古代日本語文法』では新しい分類を提示しながら、丁寧語と丁重語の違いを説明していてわかりやすかったです。
従来の謙譲語を謙譲語I(補語尊敬語)・謙譲語II(自卑敬語)を分けて説明している古典教材って意外に少ないのですよね。
私の知る限りでは、文法書でいうと『正しく読める古典文法』(駿台文庫)があって、いわゆる予備校本にもかかわらず、執筆者の中村幸弘氏を始め、学者さんの手になるもので、高校の副教材よりかなり詳細な文法書です。
辞書では、古くて絶版なのですが、『講談社古語辞典』は敬語を動作主尊敬・客体尊敬・丁寧・謙譲の4つに分類して、「給ふ(下二)」を謙譲に入れているので、ほぼ上記の考え方の通りですね。ただ、「申す」「まうで来」などの本動詞は従来通り客体尊敬としています。
上の文法書と同じ中村幸弘氏の『ベネッセ全訳古語辞典』は、謙譲語I・謙譲語IIという分類・名称を採用していて、「申す」「まうで来」などの本動詞も謙譲語IIに分類しています。