2009年2月12日木曜日

枕草子、大工の食事

この話は別の所でしたことがあるんだけど、ここに書くのは初めてなので最初から書こう。

『日本料理の歴史』という本に、枕草子にある話としてこんなことが書いてある。

清少納言の『枕草子』に大工たちの食事を描写したところがある。彼らは食べ物が運ばれてくるのを今や遅しと待ちうけていて、汁物がくると、みな飲んでしまい、空になった土器を置いてしまう。次におかずがくると、これもみな食べてしまってもうご飯はいらないのかと思っていると、ご飯もあとからくるとまたすぐなくなってしまった、といって「いとあやしけれ」というわけである。汁と飯、お菜と飯とを交互に食べていくのが今も続く和食の食べ方だが、お腹のすいた大工には、そんな作法は関係なかったようである。

『枕草子』の記事では、大工の食事がどの時間のものであったかわからない。

熊倉功夫『日本料理の歴史』吉川弘文館、2007年、pp. 40-41

ふーん、おもしろい、と思うでしょ。自分もそう思った。だけどこの本を読んでいたときは、まだ枕草子は途中だったから、あとでこういう話が出てくるんだな、と思うくらいで読み流した。

ところが読み終わってみると、こんな話、枕草子のどこにもなかったのだ。これはいったいどうしたことか。活字になっている本に出てるならその出典か、あるいはせめて原文の引用でもあればよかったんだけど、それもない。しかたなくこれは僕の中でずっと謎のままになっていて、あるいは『徒然草』か何か、別の文献からの引き間違いかとも思うようになっていた。

これが去年までの話。

しかし最近になって、『玉勝間』にこんなことが書かれているのを見つけた。

又、いはゆる菜をば、昔はあはせといへり、清少納言枕册子などに見ゆ、

本居宣長『玉勝間』岩波文庫、p. 221

この「あはせ」というのは、古語辞典には「飯にそえるもの。おかず。副食物」として載っている(旺文社『全訳古語辞典』第三版)。しかし岩波文庫版の枕草子におかずのこととして「あはせ」という語が出ていたという記憶がない。というか、おかずがどうこうとか、そういうことを書いた段があったという記憶がない。

ひょっとするとこれが『日本料理の歴史』に出ていた大工の食事の段なんだろうか。底本によって段の異同があるから、そのひとつなのかもしれない。引き続き要調査。

2 件のコメント:

  1. 古典文学のページはたくさんありますが、古文の文章自体に関心をもっているページと拝見しています。別の所で、「現代語訳ではだめだ、古文の文章自体に興味があるから」という発言を見て、大いに共感しています。

    上の、『枕草子』の「大工の食事」の記事は、能因本にあって、三巻本にない章段のものです。

    だから、三巻本を底本とする、現行の岩波文庫本に「出ていたという記憶がない」というのは、事実です。

    『枕草子』には、三巻本、能因本、前田家本、堺本という4つの本文系統があって、現在『枕草子』といえば、ふつう、三巻本で読まれています(現行の岩波文庫、旧大系、新大系、新全集、集成、角川文庫など)。しかし、江戸時代から昭和初年までは、能因本(の末流本文である、北村季吟『枕草子春曙抄』)が広く読まれていました(岩波文庫も1931年~34年刊の前版は春曙抄を底本としていました)。

    「大工の食事」の章段は、『春曙抄』の巻12、能因本を底本とする旧版の『日本古典文学全集』(小学館)の第313段「たくみの物食ふこそ、いとあやしけれ」にあります。

    『春曙抄』から、一部、引用します(表記は私に改めます)。
    たくみの物食ふこそ、いとあやしけれ。(中略)まづ、もて来るや遅きと、汁物とりてみな飲みて、土器(かはらけ)はついすゑ(=突キ据エ)つつ、次にあはせ(=オカズ)をみな食ひつれば、おもの(=飯)は不用なめりと見るほどに、やがてこそ失せにしか(=タチマチ食ベ尽クシテシマッタ)。

    また、古文の話題、楽しみにしています。
    どうも、失礼しました。

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  2. おおお、そういう情報が欲しかったんです!
    本に一言「(能因本)」とも書いてあればよかったのですが。
    ありがとうございます。

    ところで、その、ODAMA さんは、もしかして、小田勝センセイではないでしょうか?

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