さて、またここの対象とは時代が違うのだが、上野洋三『近世宮廷の和歌訓練 「万治御点」を読む』(1999年、臨川書店)という本について。
この本は、江戸時代初期の『万治御点(まんじおてん)』という書物についての著者による講義をまとめたもの。
『万治御点』というのは、江戸時代初期に後水尾院という人が後西天皇や飛鳥井雅章らに古今伝授のため歌学の勉強会を開いた、その添削の記録で、参加者の歌作とそれについての院による批評が記された文書である。
江戸時代初期ということで平安時代とは随分隔たっているわけだけど、当時の歌学の学習者、つまり歌の上級者ではなく中級者くらいの人々の歌作とその添削を見るのはなかなかおもしろい。
和歌というのは、平安時代の貴族階級の間ではおそらく教養であると同時に実生活でもあったように思われるが、やがて宮廷文化の衰退とともに特定の「家」に伝えられるような秘儀へと変化していったように見える。この変化の前後に横たわる断絶はあまりに大きく、生活とともにあった和歌というそのありさまは、いまの人間の想像からするとどこか童話的・神話的で、現実感の希薄な印象がつねにともなう(まあそれがみんなの言う「みやび」ってことなのかもしれないけど)。
後水尾院も後西天皇もその他の廷臣も、貴族皇族でありながらすでにこの断絶の「こちら側」の人間だ。このなかで、講義を行う院だけが、その言動から、こちら側から「あちら側」へと渡ることのできた、その境地へ達した存在であるかのように見える(後西天皇たちの目にも、院の姿はそう映ったに違いない)。和歌がわかった人間とまだわかってない人間との対比が、この文書に現れているわけだ。なかにはいかにも作り慣れてない感じの(それが僕みたいな人間にも感じられる)歌があったりして微笑ましい。
いっぽうで、『袋草紙』に見られた、しょうもないその場しのぎの実用テクニックやら、やたら細分化された歌の「病」に関するドライな形式的考察を髣髴させるものは、院の批評の言には見られない。歌が具体的・実際的なものではなく、「感じる」「体で覚える」秘儀へと変容しているからだ。
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