寛和元年(九八五)二月十三日、円融院が子の日の遊び(正月のはじめの子の日に、野に出て小松を引き若菜を摘んで長寿を祝う宴遊)をされた時のこと、紫野《むらさきの》にお出かけになった院は、大中臣能宣・源兼盛・清原元輔・源玆之《しげゆき》・紀時文《ときふん》というような、当時の主な歌人を、かねてお召しになっていましたので、それらの歌人たちはみな衣冠を正し、正装して参会していました。
院の近くには公卿の座が設けられ、その次に、殿上人の座が設けられ、その末の方に、幕にそって横の方に、歌人たちの座が設けられています。院が座におつきになり、公卿、殿上人、歌人たちも座につきましたが、そこへ、烏帽子をつけ、狩衣袴姿という、当時の公卿の服装としては普段着のみすぼらしい格好で現れ、歌人の座の末に着いたものがいます。人びとが、何者が来たのかと思って見ると、曽禰好忠です。殿上人たちが、「おまえは曽丹《そたん》ではないか、どうして来たのか」と、そっと尋ねます。
「曽丹」というのは、曽禰好忠は丹後掾《たんごのじょう》という官についていましたところから、「曽禰」の「曽」と「丹後掾」の「丹」とをとって呼ばれていたものです。初めは「曽丹後掾」と号されていたのですが、その後、「曽丹後」と呼ばれるようになり、さらに略されて「曽丹」といわれるようになったので、好忠自身、いつ「そた」と呼ばれるようになるであろうかといって嘆いたと伝えられています。
(安田章生《あやお》『王朝の歌人たち』NHKブックス、1975年、pp. 94-95)
2009-05-11
2009-05-04
へん
また平安時代から外れてしまうのだけど番外編ということで。徒然草の話。
(第百三十六段)
医師《くすし》篤成《あつしげ》、故法皇の御前に候て、供御《ぐご》のまゐりけるに、「今日まゐり侍る供御の色々を、学問も、功能《くのう》も、尋ね下されて、空に申侍らば、本草に御覧じ合はせられ侍れかし。ひとへに申誤り侍らじ」と申ける時しも、六条の故内府まゐりたまひて、「有房《ありふさ》、ついでに物習《なら》ひ侍らん」とて、「まづ、『しほ』といふ文字は、いづれの偏《へん》にか侍らむ」と問はれたりけるに、「土偏に候」と申たりければ、「才のほど、すでに顕れにたり。今はさばかりにて候へ。ゆかしき所なし」と申されけるに、どよみにて、まかり出でにけり。
(新日本古典文学大系39『方丈記・徒然草』岩波書店、1989年、一部表記を改める)
もう二年近く前の話だけど、区の図書館が主催する日本の古典の講演があって、それを聴きに行った時に『徒然草』のこの段が紹介されていた。僕は徒然草はまだ読んでないけど、それでこのエピソードを知ったのだ。
医師の和気篤成が、法皇(ここでは後宇多法皇かという)のお膳が来たのを見て、そのひとつひとつ、どれでもその名前と効能を書物にあるとおりにそらんじてみせようと自慢した。そこへ源有房がやって来て、それではついでに教えていただこう、「『しほ』といふ文字は、いづれの偏にか侍らむ」と尋ねた。篤成が「土偏に候」と答えると、有房に、学問の程度が早くも露呈してしまったな、その辺にしておきなさいと言われ、篤成は一座の哄笑を買ったという話。
さて、このやりとり、「いづれの偏にか侍らむ」「土偏に候」について、新体系の脚注は、「土偏でございます。篤成は『塩』の字を考えて答えた」「有房は正字の『鹽』でなければ正解としない立場である」と解説している。講演の先生もそれに従って講義されていた。また、それを承けて「聞いただけではどちらの『しほ』かわからないのだから、意地悪な質問だ」ともコメントしていた。
これを聴いていた時はふーんと聞き流していただけだったのだけど、聞きながらなんか変な感じはしていた。それが後世に伝えるほどの機知のある会話かな、というようなことを思ったのだ。
ところが後日、『いろはうた』という本を読んでいたら、この「へん」というのはまったく別の意味だったということがわかってしまった。
アクセントそのものは変化してしまっていても、語頭音節における高低一致の法則が保存されていたなら、「山のおく」と「おく山」との「お」の高さが違うということにはならなかったはずであるから、その法則も十四世紀末には失われていたことが、これによって知られる。もとより、長慶天皇としては、それが、アクセント史のいたずらであるとは気づいていない。「緒の音・を」「尾の音・お」とあるから、音が基準になっているのかと思うとそうでもない、といっているところを見ると、この「緒の音・を」「尾の音・お」という趣旨も正しくは理解されていないようである。まして、ここでは「を・お」以外の同音の仮名までも、やはり高低に基づいて書き分けられているはずだという前提で検討されているので、結局、
音にもあらず儀(=義)にもあらず、いづれの篇につきて定めたるにか、おぼつかなし
という評価をくだすほかはなかった。
医師篤成が「しほといふ文字は、いづれの篇にか侍らん」と尋ねられ、見当違いの答えをして恥をかいたという話が『徒然草』一三六段に見えている。ここに「いづれの篇に」といっているのも、やはりその場合と同じように、どういう典籍に、という意味であるから、要するに、定家による規定は根拠不明だというのである。あるいは「旧き草子」というのを、そういう事柄を記した特定の典籍として理解したものであろうか。
(小松英雄『いろはうた――日本語史へのいざない』講談社学術文庫、pp. 310-311)
徒然草の同段は、「どの典籍に出ているのか」と問うた有房に対して、篤成が「土偏である」と見当違いの答えをしたという話だったのだ。それで有房は「程度が知れる」と呆れたのである。それなら笑い話としてちゃんと納得のいく筋になっている。
2009-04-27
なお、すでに知られているように、当時の京都語のアクセント体系では、同一の語源をもつ単語のアクセントは少なくとも第一アクセントだけは同一であったとされている(金田一春彦氏の研究)。従って、一つの語のアクセントを知れば、他の語のアクセントを推定できる場合が少くない。例えば、小舟(ヲブネ)のアクセントが名義抄によって、上上○と知られれば、小(ヲ)のアクセントは上であるから、それによって、小笹(ヲザサ)、小塩山(ヲシホヤマ)、小倉山(ヲグラヤマ)、小忌(ヲミ)などの第一音節「ヲ」は、すべて上のアクセントであることが知られる。
また、今日の東京アクセントでは「起きない」のオは、オキナイとなって低いが、「起きた」の場合はオキタとなって高い。このように一つの動詞でも、活用形によって動詞の第一アクセントが変ることがある。しかし、当時の京都アクセントでは、同じ語ならば、第一音節のアクセントは活用形によって変わることがない。例えば「起く」という動詞ならば、「起きず」の場合でも、「起きたり」の場合でも、いずれもオは平声である。このように、動詞・形容詞などの終止形の第一アクセントが上ならば、活用形の如何を問わずその語の第一アクセントは上であり、終止形の第一アクセントが平ならば、活用形の如何に関わらずその第一アクセントは平であったから、終止形のアクセントを知れば、他の活用形の第一アクセントは知ることができる。
(大野晋『仮名遣と上代語』岩波書店、1982年、p. 22)
2009-04-23
琵琶法師
金田一春彦『四座講式の研究』(三省堂、1964年)という本(玉川大学出版部「金田一春彦著作集」第五巻所収)によれば、真言宗や天台宗に伝わる仏教音楽である声明《しょうみょう》のなかでも、日本語の歌詞を持つ「講式」という種類の声明は、古いもので鎌倉時代末期の日本語のアクセントをかなり正確に伝える資料となるという。
講式の譜は、歌詞の各仮名の横に「|」「\」「―」のような形をした節博士《ふしはかせ》という記号を付けた体裁をしている。これがその仮名を詠む際の音程を表しており(この記号の意味は講式の流派によってそれぞれ違っている)、それにより講式が作られた当時のその語のアクセントがわかるわけである。この話はすごく面白いのでそのうちまたあらためて書いておきたい。
琵琶法師の弾き語りにはまさか譜に相当するものはないだろうが、こういう中古中世の音韻の痕跡のようなものは残っていたりするのかな。
2009-04-20
「~ずなりぬ」「~てやみぬ」
今までどうも「~ずなる」には複数の使われ方があるなあ、とは薄々思っていて、出くわすとよく考えてみたりしてたんだけど、よく見たら『古代日本語文法』にちゃんと書いてあった。
「~ずなりぬ」には、「今までしていたことをしなくなった」の意と、「最初から最後までしないままになってしまった」の意とがあります。(31) は前者、(32) は後者です。
- (31) 船の人も見えずなりぬ。(土佐)
- (32) 楫取、「今日、風、雲の景色はなはだ悪し」と言ひて、船出さずなりぬ。(土佐)
(小田勝『古代日本語文法』おうふう、2007年、pp. 67-68)
前者は現代語の「~なくなる」と同じなんだけど、後者に該当する簡潔な表現は現代語にはない(と思う)。
簡潔な現代語にしにくい似たような表現として、「~てやみぬ」というのもある。これもなんか無理矢理落ちを付けたような文みたいで、不思議な感じがする。
- くらうなりて、物くはせたれどくはねば、あらぬものにいひなしてやみぬる、つとめて(p. 31)
- つれなきもいとねたきを、今宵あしともよしともさだめきりてやみなむかし。(p. 103)
- 夜ふくるまでつけわづらひてやみにしことは、(p. 104)
- 「則光なりや」と笑ひてやみにしことを、(松尾聰、永井和子著『枕草子[能因本]』笠間書院、2008年、p. 198)
- 「さては、一人をうらみ給ふべきことにもあらざなるに、あやし」といへば、その後はたえてやみ給ひにけり。(p. 222)
- つねにおぼえたる事も、また人の問ふに、きよう忘れてやみぬるをりぞ多かる。(p. 291)
(特に明記しているもの以外、池田亀鑑校訂『枕草子』岩波文庫、1962年。)
あれ、意外にも「~てやみぬ」で終止する文はないな……。本居宣長も使ってるんだけど、それの印象が強かったせいか?
こたつといふ物のうた
しはすばかり、これかれあつまりて、埋火を題にて、哥よみける日、今の世のこたつといふ物をよめと、人のいひければ、
むしぶすまなごやが下のうずみ火にあしさしのべてぬらくしよしも、とよめりければ、みな人わらひてやみぬ
(本居宣長著、村岡典嗣校訂『玉勝間』上、岩波文庫、p. 101)
ああ枕草子がやりたかったんだなあ、という感じの乙女ノリ。おふざけのくせに歌は「むしぶすまなごやが下に臥せれども妹とし寝ねば肌し寒しも」という万葉集の歌を下敷きにしているというマニアックさはさすがだ。