二三日
内 にさぶらひ、大殿 にもおはするお りは、いといたく屈 しなどしたまへば、心ぐるしうて、母 なき子 持 たらむ心 ちして、ありきも静 心なくおぼえ給 。(源氏物語「紅葉賀」新日本古典文学大系)
こと人の
子 持 たまへらむとも、問ひ聞き侍らざりつる也 。(源氏物語「東屋」新日本古典文学大系)
「持たり(原文「もたり」)」[ラ変]は古語辞典に載ってるけど、「持たまへり(原文「もたまへり」)」は載ってないね(『旺文社全訳古語辞典』第三版と『岩波古語辞典』補訂版で確認)。載ってないけど、たぶん「持たり」の尊敬語が「持たまへり」であろう。ということは、「持たり」は動詞「持つ」+完了存続の助動詞「り/たり」の縮まった形だろうと思われる。意味的にも同じでいけるよね。
で、あらためて「持たまへり」を見て、なんでこうなったのかを考えると、「持ち」の末尾「ち」のタ行と「たまへり」の頭のタ行とがくっついたんじゃないかと想像できる。
ということは、「持たり」のほうに起こったのもそういうことだったんじゃないかと考えられないかね。つまり、辞書には「『持ちあり』の転(旺文社全訳古語辞典)」「《持チ有リ》の約(岩波古語辞典)」とあるけども(『古代日本語文法』もそう言ってる p.78)、これは「持ちたり」の転なんじゃなかろうか。助動詞「り」の起源の説明からすれば、「持ち+あり」の転こそが「持てり」なわけでしょ。それなら「持たり」になったのにはそれとは別の説明をしないと。「たり」は四段動詞に付いてもいいわけだし。さらにふみこんで想像すると、発音も「モッタリ」に近かったかもしれない。まあ空想だけど。
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