ここを始めて半年が経った。一年の予定なので折り返し地点だ。書いておきたいものの書けてないことがまだいくつかある。
日曜日に紀伊國屋書店をぶらぶらしてきたけど、なにも買わず。『自閉症の謎を解き明かす』の新版と、ピンカーの新刊(もう出て結構経ってたと思うけど)が気になったくらい。古文については、学習参考書のコーナーに新しい本がたくさん並んでた、が、どのみち自分は読むものがたまっているので手は出さず。
これは古文に限ったことじゃないけど、○○はこんなにおもしろい、みたいなタイトルの本ばっかり。僕は「わたしおもしろいのよ」などと自分から媚を売ってくるような本は好きじゃない。つい「だまされるものか」と身構えてしまうし、その手の本は自分のためにならないような気がする。というのは、それらは「なにがおもしろいか」を解説する本であるわけで、これがジョークの話だったら無粋もいいところの役回りじゃないか。なにがおもしろいかを発見することも含めての読書のおもしろさ、だと思うんだけど。
それに、たとえば「徒然草はおもしろい」みたいな名を冠する一群の本どもの読者層と、当の「徒然草」の読者層というのはまったく別のような気がする。僕はここを「古文はこんなにおもしろい」みたいな内容にすることもできたわけだけど、そういうのは避けた。この例でいうところの前者のような人々の興味を引いてもしょうがないと思ったからで、たとえば、いま「枕草子」を読んでいるもののなにが書いてあるかさっぱりわからん、みたいな人がいたら、そういう人がたぶん対象読者だね。僕は向き合ってくれる人よりも、同じ向きに歩いていく人を友とするのだ。
だいたい登山する人になにか書かせたら登山の記録になるのが普通じゃん。そういうこと。『玉勝間』みたいな書も、そういう態度がわかれば読めるようになる。
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