小松英雄『日本語はなぜ変化するか』(笠間書院、1999年)では、『枕草子』の「下衆《げす》のことばには必ず文字あまりたり」というくだりについて、これが庶民層においてすでに表出していた終止形の連体形化現象のことではないかと推測している (p. 167)。ここはおもしろかった。
中古の動詞の連体形は、四段および上一段(あと「蹴る」一語の下一段)活用動詞では終止形と(文字の上では)変わらないが、その他の動詞ではすべて見かけ上終止形に「る」が付いた形になっている。音節としてはひとつ「あまる」ことになる。
以前同書から引用した、やはり枕草子中の、「いはんとす」と言うべきところを「いはんずる」と言う者がいる、という箇所を思い出すと、なるほど後者は連体形終止の形をとっている。このことは枕草子を読んだ時から気になってたんだけど、清少納言の癪に障ったのは、音便縮約のほうもあるのかもしれないが、ここではむしろ連体形終止のことを言っていたかもしれないわけか。そしてそれを考えると、「下衆のことばには云々」が連体形終止の言葉遣いを批難するものだったというのには説得力がある。
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