2009年6月4日木曜日

和歌のことについて

和歌について。中古の古典を読んでいるというからには、和歌について触れないわけにはいかない。いかないんだけど、これがなかなか難しい。

歌がどういう意味かは辞書や註と格闘すればなんとかなる。だけど、その場面でその人に、いったいどういう頭の中の働きによりその歌が出てきたものなのかというのは依然として謎だ。自分で歌を作ったことがないから、人がそういうときにどんな歌を詠んだというのが非現実的なのだろう。しゃべってていきなり朗詠モードに入ったわけ? わからん。

それと、和歌そのもののよさがまだ自分にはよくわかっていない気がする。私家集でも物語でも、歌はたいていその前に詞書きというものがあって、かくかくしかじか、どういう経緯で、ああなってこうなって、それで詠んだ、歌、というふうに書いてある。時にはそれにひどく感心させられることもあるのだが、さて自分が歌に感心したのかそれとも詞書きに感心したのかというと、どうも後者のような気がする。結局読んでる頭は散文の頭なんだよなあ。

僕は自分で読解力はあるほうだと思っていて、空気を読むのは苦手だが行間を読むのは得意のつもりでいる。ところが和歌は一行しかないので、そこに行間はない。歌には歌のアタマがあって、それを悟らない限り、歌はずっと自分にとって「外」の言語芸術のままなんだろうな、と思う。

それでも歌にはちょっといいなと思うところもある。それは形式を担保にして言いにくい本音も伝えられることだ。言いたくても言えないことというのはなかなか結構あるもので、それを直接でなく形式的に解消できる風習があったというのはちょっとうらやましいな。

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