2025-11-02

令和七年度隠岐後鳥羽院和歌大賞に入賞しました

令和七年度「隠岐後鳥羽院和歌大賞」の結果が発表され、投稿歌を「公益財団法人 冷泉家時雨亭文庫賞」に選定していただきました。撰者の方々にお礼申し上げます。

歌題「漁火」


受賞歌:


ぬばたまの夜の波間をこぎ行きておきにかずそふあまのいさり火


入選からは外れましたが一緒に応募しました投稿歌:


しののめの沖つ波間のあまをぶねかすかにけぶるいさり火のあと


一昨年度度に入賞したあと、昨年度は選外だったので落ちこんでいましたが、また選んでいただいてありがたい限りです。

入選する歌も以前より「和歌らしい」作品が増えてきた気がします。古文で歌作るモノズキなんてそんないないだろ〜とか慢心していられない、と引き締まる思いがします。

2024-02-17

令和五年度隠岐後鳥羽院和歌大賞に入賞しました

 令和五年度「隠岐後鳥羽院和歌大賞」の結果が発表され、投稿歌を「城南宮 鳥羽殿賞」に選定していただきました。撰者の方々にお礼申し上げます。

歌題「秋浦」

受賞歌:

あさぼらけ浦にたなびく秋霧のたえまに見ゆる沖つ島かげ

入選からは外れましたが一緒に応募しました投稿歌:

秋くれば思ひなしにやふくごとにかなしさそふる浦の松風

賞に応募するようになって三度目の正直で入賞の光栄にあずかることができました。一度目に入選していい気になってたら翌年は選外で残念でしたがあきらめずにやってよかった。

隠岐後鳥羽院和歌大賞は今年度も募集をしています。ウェブサイトでの告知はまだのようですが歌題は「島」 とのこと(結果のお知らせに要項が同封されていた)。締切はだいたい10月末です。古文を読むのが好きという方は、古文を書くことの実践としてもぜひ応募してみてください。

2016-12-23

未来記

断りなくいきなり更新。

「未来記」とは予言の書を意味する。和歌が衰退した将来に詠まれるであろう歌のさまを示した書、というくらいの意味で命名されたものか。 
『新編国歌大観』第五巻、p. 1486

『未来記』というものがあるのを先日知った。同ジャンルの書がいくつかあったらしい。解題には予言の書とかとかよくない歌の見本とかしかつめらしいことが書いてあるが、詠人に「前和歌得業生柿本貫躬」というふざけた名前(柿本人麻呂、紀貫之、凡河内躬恒のミックス、前和歌得業生は元大学院生みたいなニュアンスである)が掲げられているのだから、ようするにパロディだと思う。けどそう書かないのが国文学の謎。

載っている歌も一例を挙げれば「年の内に春は来にけり一年に二度かすむ四方の山のは」などとナンセンスぎりぎりのコラージュ和歌だ。解題はこれまた「縁語や懸詞などを多く用いて圧縮した」表現ととぼけているのはわかってるのかなんなのか。

おそらく、鎌倉時代ごろになると和歌も表現技法上の飽和期を迎え歌人たちには自分たちがある種のマニエリスムに陥っていることの自覚があったろう。自分たちはしょせん先達の作品の一部を切り貼りしているだけの存在ではないのか、この先それらを超える名歌は生まれないのではないかという文学的危機感は、俊成あたりの時代から芽生えてきていたと思われる。そこから、この調子でいくとそのうちこんなのが名歌ともてはやされるようになるぞ、というのがこの『未来記』だと思う。

いってみれば、20年後の芥川賞などと称してラノベ文体のコラージュ作品をでっち上げたようなものではないかな。

2015-11-08

たびしかはら

阿部弘蔵『日本奴隷史』第八章「中世期奴隷の種類」に荼毘師というものが出てくる(p. 140)。

守貞漫稿に嘉多比佐志をひきて、だびしかはらおさめみかはやうと云々、だびしは、荼毘師にて、今云隠亡なり。

枕草子や源氏物語に出てくる「たびしかはら」は「礫瓦」とされ「タビシはタビイシ(礫石)の約」(『岩波古語辞典』)などと説明されてきたが、それを見て、これは「荼毘師かはら」なのでは?と思った。タビイシは日本霊異記に例がある。タビシ単独の用例はと日国を引いたら『大日経治安三年点』(1023)に「礫石(タヒシ)と砕けたる瓦と〈略〉毒螫の類を除去す」というのがあるらしい。

そもそも「たびしかはら」礫瓦説は岡本保孝『傍廂糾謬(かたびさしきゅうびゅう)』による(新体系『源氏物語 二』p. 139)。この本は先の引用の守貞漫稿で引かれた『傍廂』の誤りを指摘するために書かれた本だそうだ。となると、『日本奴隷史』の荼毘師はこのページにしか説明がないので、まさにこの箇所も岡本によって誤りとされた箇所なのではという気がしてきた。きっとそうだな。

『傍廂糾謬』を読めれば早いんだけど。

2014-07-10

Let It Go 古文訳


ここも滅多に書かなくなっているけれど、自分にとっての古文まわりの出来事の記録として一応。といっても出来事というか、思ったことの日記みたいになってしまった。あ、少しずつだけどまだまだ古文は読んでるよ。

ちょうどふた月ほど前に、『アナと雪の女王』の劇中歌、“Let It Go” の歌詞を擬古文に訳した替え歌をお遊びでツイッターで公開したところ、それが思いのほか好評でけっこう流行った(と言っていいと思う)。なんでふた月も前のを今頃書くかというと、当時忙しかったというのもあるけれど事態がひと月では収束しきれなかったほどだったからだ。

出したときは古文訳と言っているけれど、正しく言うなら擬古文ですね。経緯やその反響などは KITI さんの作ってくれたまとめをご覧くださいな(それと自分で書いた歌詞解説もあります)。

いまでこそ落ちついてられるけど、RT が爆発的に始まったときはなかなかすごかったよ。通知で iPhone のバッテリーがもたないので(あったかくなってたからね)数日間は通知を設定で黙らせなければならなかった。

それとフォロワーが——もともと少ない自分にしては——急増したのに困惑した。いや、増えてよかったろうと思うかもしれないけど、ふつうの人にとってはけっこう動揺があるんですよ。一気に増えたあとはなだらかにぽろぽろ減っていく毎日というのも慣れないことで(気にすることじゃないとわかっていても)気が滅入るし。ナイーブになって、わざと過激なことを言ってみたり、「あーもー新しく来た人全員ブロックするしか!」と自暴自棄になったりする(まあブロックはしないけど)。

あまり古文と関係のない、どちらかというとツイッターの話になってしまったけど、こういう感じたことというのはまとめには書けないことなので残しておこうかなと。悪しからず。

実際に歌ってみてくれた方がたくさん出て、古文の春が到来したと目頭が熱くなった。「古語は昔の現代語」と思っているので、「現代語のように使ってみせて」生き生きとよみがえらせたいというのはよく考えてたんですよ。それが、現代のミュージカルのメロディーにのせて古語をみんなが歌ってるんだから夢のようである。

しかしせっかく現代によみがえった古文を、「雅楽で」「民謡歌手で」とみんなが過去に戻したがるのはちょっと意外だった。そうじゃなくて、古典というのは「つねに新しいもの」なんですよう。

石敢當さんが歌ってくれたニコ動の動画には「古文が好きになった」「古文やろう」みたいな前向きのコメントもたくさん付いて嬉しかったな(歌詞を書いてくれた PIROPARU さんの書もすばらしい)。さらに恐ろしいことに、「学校の授業で見せられた」「配られた」というツイートまで出はじめた。古文を楽しく学ぶきっかけになるのは本望だけど、「授業で使うから」と前もってわかってたらもっと正確さを期するべきだった!とかしょうもない後悔をしている。

これでこの先「古文を書く」という方面にみんなが興味を持ってくれるようになったら嬉しいです。以前紹介した本で関連するのとか、現代語から古語を引く辞典とか、擬古文を楽しく書くのに使える情報を近いうち書こうかな。

……みんなに飽きられないうちにね。