前回からの続き。
〔二二六〕 賀茂へまゐる道に、田植うとて、女のあたらしき折敷のやうなるものを笠に着て、いとおほう立ちて歌をうたふ、折れ伏すやうに、また、なにごとするとも見えでうしろざまにゆく、いかなるにかあらむ。をかしと見ゆるほどに、ほととぎすをいとなめううたふ、聞くにぞ心憂き。「ほととぎす、おれ、かやつよ。おれ鳴きてこそ、我は田植うれ」とうたふを聞くも、いかなる人か、「いたくな鳴きそ」とはいひけん。仲忠が童生ひいひおとす人と、ほととぎす鶯におとるといふ人こそ、いとつらうにくけれ。
〔二二七〕 八月つごもり、太秦に詣づとて見れば、穂に出でたる田を人おほく見さわぐは、稲刈るなりけり。早苗取りしかいつのまに、まことにさいつころ賀茂へ詣づとて見しが、あはれにもなりにけるかな。これは男どもの、いとあかき稲の本ぞ青きを持たりて刈る。なににかあらんして本を切るさまぞ、やすげに、せまほしげに見ゆるや。いかでさすらむ。穂をうち敷きて並みをるもをかし。庵のさまなど。
(池田亀鑑校訂『枕草子』岩波文庫、p. 263-264)
やっぱり新日本古典文学大系版が欲しいなあ……。一応、拙訳。
〔二二六〕 賀茂に参詣する道すがら、田植えをするということで、新しいお盆のようなものを笠にかぶっては立ち並んで歌をうたっている女たち、折れ伏すように、なにをするふうでもなく後ろ向きに進んでゆく。どういうわけかと不思議に思って見ていると、ほととぎすを愚弄する歌をうたっているのが聞こえてきていやな気分になる。「ほととぎす、あんた、あいつさ、あんたが鳴くので、おれは田植えだ」とうたっているが、いったい「いたくな鳴きそ(あんまり鳴くな)」と言ったのはどういう人だったのだろうか。仲忠の出生を言い落とす人と、ほととぎすは鶯に劣るという人は、まったくもって許し難いのである。
〔二二七〕 八月晦日、太秦へお参りに出かけてふと目をやると、穂のなった田を見てみなが騒いでいる。稲刈りであった。「早苗取りしかいつのまに」、先日賀茂参りのときにに見た稲が、まったく立派になったものである。これを、男たちが赤い稲の本の青いところを持って刈り取る。なにやら道具を使って根元を切っていくさまが、たやすげで、いつまでも続けていたくなりそうだ。なんのためだか、穂を敷いて並べているのもおもしろい。庵のさまなど。
二二六段が笑えるのは、話がそれているというところだ。めずらしい光景を目にした素朴な驚きが、些細なきっかけで理不尽な憤慨に変わり、それがそのまま「むかつくあいつら」への八つ当たりになってしまう。こういう人いるよね。
仲忠というのは『うつほ物語』の登場人物で、出生云々とは、作品中の二大主人公である涼、仲忠のどちらを贔屓にするかという定番の話題があって、そういうときに涼方の連中はきまって「仲忠は生い立ちが卑しい」と因縁をつけたのである。ほととぎすと鶯も、春の鳥として歌の世界では一種のライバル関係にある。まあ罪のない農民からすればいい言いがかりだ。
「早苗取りしかいつのまに」は「古今集」秋上の「昨日こそ早苗取りしかいつのまに稲葉そよぎて秋風の吹く」から。歌われている感慨そのものをまさに実感したというわけだ。ちなみに賀茂参りは五月のこと。
ここを読んで、おもしろいとは思ったものの、貴族階級の人間の思考の限界を見たような気もした。かれらは農作業の光景を前にしても、そこに物語や歌のトピックを彩る記号しか見ていない。和歌の世界にどっぷりすぎて、あまりにたやすく目の前の現実から目がそれてしまう。うらやましくもあり、気の毒でもある(いや、本音を言うとうらやましくはない)。
でもこうして清少納言が書いてるってことは、観察眼がないわけでもないんだよね。ただ、稲の根元をどうやって刈るか、なんてことは(「をかし」にはなっても)「あはれ」には結びつかない。だから「あはれ」の文学である『源氏物語』の描写には出てこないんだろう。それを考えると、『枕草子』は、ほかの仮名文学が書くに値しないとして見落としてきたことを書いたという意味で、やはりすごいのだといえる。ただ自己顕示欲が強いだけでは、こうした記述を残すことはできないと思う。
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