2024-02-17

令和五年度隠岐後鳥羽院和歌大賞に入賞しました

 令和五年度「隠岐後鳥羽院和歌大賞」の結果が発表され、投稿歌を「城南宮 鳥羽殿賞」に選定していただきました。撰者の方々にお礼申し上げます。

歌題「秋浦」

受賞歌:

あさぼらけ浦にたなびく秋霧のたえまに見ゆる沖つ島かげ

入選からは外れましたが一緒に応募しました投稿歌:

秋くれば思ひなしにやふくごとにかなしさそふる浦の松風

賞に応募するようになって三度目の正直で入賞の光栄にあずかることができました。一度目に入選していい気になってたら翌年は選外で残念でしたがあきらめずにやってよかった。

隠岐後鳥羽院和歌大賞は今年度も募集をしています。ウェブサイトでの告知はまだのようですが歌題は「島」 とのこと(結果のお知らせに要項が同封されていた)。締切はだいたい10月末です。古文を読むのが好きという方は、古文を書くことの実践としてもぜひ応募してみてください。

2016-12-23

未来記

断りなくいきなり更新。

「未来記」とは予言の書を意味する。和歌が衰退した将来に詠まれるであろう歌のさまを示した書、というくらいの意味で命名されたものか。 
『新編国歌大観』第五巻、p. 1486

『未来記』というものがあるのを先日知った。同ジャンルの書がいくつかあったらしい。解題には予言の書とかとかよくない歌の見本とかしかつめらしいことが書いてあるが、詠人に「前和歌得業生柿本貫躬」というふざけた名前(柿本人麻呂、紀貫之、凡河内躬恒のミックス、前和歌得業生は元大学院生みたいなニュアンスである)が掲げられているのだから、ようするにパロディだと思う。けどそう書かないのが国文学の謎。

載っている歌も一例を挙げれば「年の内に春は来にけり一年に二度かすむ四方の山のは」などとナンセンスぎりぎりのコラージュ和歌だ。解題はこれまた「縁語や懸詞などを多く用いて圧縮した」表現ととぼけているのはわかってるのかなんなのか。

おそらく、鎌倉時代ごろになると和歌も表現技法上の飽和期を迎え歌人たちには自分たちがある種のマニエリスムに陥っていることの自覚があったろう。自分たちはしょせん先達の作品の一部を切り貼りしているだけの存在ではないのか、この先それらを超える名歌は生まれないのではないかという文学的危機感は、俊成あたりの時代から芽生えてきていたと思われる。そこから、この調子でいくとそのうちこんなのが名歌ともてはやされるようになるぞ、というのがこの『未来記』だと思う。

いってみれば、20年後の芥川賞などと称してラノベ文体のコラージュ作品をでっち上げたようなものではないかな。

2015-11-08

たびしかはら

阿部弘蔵『日本奴隷史』第八章「中世期奴隷の種類」に荼毘師というものが出てくる(p. 140)。

守貞漫稿に嘉多比佐志をひきて、だびしかはらおさめみかはやうと云々、だびしは、荼毘師にて、今云隠亡なり。

枕草子や源氏物語に出てくる「たびしかはら」は「礫瓦」とされ「タビシはタビイシ(礫石)の約」(『岩波古語辞典』)などと説明されてきたが、それを見て、これは「荼毘師かはら」なのでは?と思った。タビイシは日本霊異記に例がある。タビシ単独の用例はと日国を引いたら『大日経治安三年点』(1023)に「礫石(タヒシ)と砕けたる瓦と〈略〉毒螫の類を除去す」というのがあるらしい。

そもそも「たびしかはら」礫瓦説は岡本保孝『傍廂糾謬(かたびさしきゅうびゅう)』による(新体系『源氏物語 二』p. 139)。この本は先の引用の守貞漫稿で引かれた『傍廂』の誤りを指摘するために書かれた本だそうだ。となると、『日本奴隷史』の荼毘師はこのページにしか説明がないので、まさにこの箇所も岡本によって誤りとされた箇所なのではという気がしてきた。きっとそうだな。

『傍廂糾謬』を読めれば早いんだけど。

2014-07-10

Let It Go 古文訳


ここも滅多に書かなくなっているけれど、自分にとっての古文まわりの出来事の記録として一応。といっても出来事というか、思ったことの日記みたいになってしまった。あ、少しずつだけどまだまだ古文は読んでるよ。

ちょうどふた月ほど前に、『アナと雪の女王』の劇中歌、“Let It Go” の歌詞を擬古文に訳した替え歌をお遊びでツイッターで公開したところ、それが思いのほか好評でけっこう流行った(と言っていいと思う)。なんでふた月も前のを今頃書くかというと、当時忙しかったというのもあるけれど事態がひと月では収束しきれなかったほどだったからだ。

出したときは古文訳と言っているけれど、正しく言うなら擬古文ですね。経緯やその反響などは KITI さんの作ってくれたまとめをご覧くださいな(それと自分で書いた歌詞解説もあります)。

いまでこそ落ちついてられるけど、RT が爆発的に始まったときはなかなかすごかったよ。通知で iPhone のバッテリーがもたないので(あったかくなってたからね)数日間は通知を設定で黙らせなければならなかった。

それとフォロワーが——もともと少ない自分にしては——急増したのに困惑した。いや、増えてよかったろうと思うかもしれないけど、ふつうの人にとってはけっこう動揺があるんですよ。一気に増えたあとはなだらかにぽろぽろ減っていく毎日というのも慣れないことで(気にすることじゃないとわかっていても)気が滅入るし。ナイーブになって、わざと過激なことを言ってみたり、「あーもー新しく来た人全員ブロックするしか!」と自暴自棄になったりする(まあブロックはしないけど)。

あまり古文と関係のない、どちらかというとツイッターの話になってしまったけど、こういう感じたことというのはまとめには書けないことなので残しておこうかなと。悪しからず。

実際に歌ってみてくれた方がたくさん出て、古文の春が到来したと目頭が熱くなった。「古語は昔の現代語」と思っているので、「現代語のように使ってみせて」生き生きとよみがえらせたいというのはよく考えてたんですよ。それが、現代のミュージカルのメロディーにのせて古語をみんなが歌ってるんだから夢のようである。

しかしせっかく現代によみがえった古文を、「雅楽で」「民謡歌手で」とみんなが過去に戻したがるのはちょっと意外だった。そうじゃなくて、古典というのは「つねに新しいもの」なんですよう。

石敢當さんが歌ってくれたニコ動の動画には「古文が好きになった」「古文やろう」みたいな前向きのコメントもたくさん付いて嬉しかったな(歌詞を書いてくれた PIROPARU さんの書もすばらしい)。さらに恐ろしいことに、「学校の授業で見せられた」「配られた」というツイートまで出はじめた。古文を楽しく学ぶきっかけになるのは本望だけど、「授業で使うから」と前もってわかってたらもっと正確さを期するべきだった!とかしょうもない後悔をしている。

これでこの先「古文を書く」という方面にみんなが興味を持ってくれるようになったら嬉しいです。以前紹介した本で関連するのとか、現代語から古語を引く辞典とか、擬古文を楽しく書くのに使える情報を近いうち書こうかな。

……みんなに飽きられないうちにね。

2013-08-16

和歌の字余りについて

前回の続き。

五七五七七と言われるけれども、和歌・短歌には字余りという現象があって、5字ということになっている初句や第三句がときとして6字になったり、7字といわれる第二・第四・第五句が8字になったりすることがあるということはよく知られている。

ちなみに5字、7字といっているけど、これは正確には字数ではなく前回言ったモーラ数である。念のため。5モーラのところが6モーラになったり7モーラのところが8モーラになったりすのが字余りである。現代の短歌は破格に対して寛容なので、五七五七七も「入れたい言葉が入らなければ仕方ないので余ってもよい」程度のガイドラインにしかすぎないと思われているのかもしれないけれど、もしかすると「チョコレート」がオーケーなら6字でいいってことじゃない、といった字数とモーラ数の混同がそういう傾向を後押ししているという面もあるかもしれない。……が、「チョコレート」は5モーラなので初句に使っても字余りではないよ。

余談だがモーラという語はあまり膾炙した言葉じゃないのでちょっと使いにくいね。「拍」とかのほうがいいのかな。まあいいや。世間の多くの説明ではモーラと言うべきところを音節と書いている、というのは前回書いた通り。

さて、この字余りというのは現代人からするとただの規則から逸脱した例外にしか見えないのだが、かつてはそうでなかったことがわかっている。

まず「字余りしている句は句中に必ず母音の字が含まれている」というのが国学の時代から知られていた。宣長『字音仮字用格』(1176 1776 追記: 刊行年間違っていたので訂正しました)はじめ、富士谷成章も同種の指摘をしていたらしい(未読だけど)。古今集の「としのうちに」などの例である。この原則は古今集の頃にはほぼ完全に当てはまっていて、新古今の頃だとそうでない、単に余ってるとしか言いようのない字余り句がちょくちょく見られるようになっている。とはいえ、和歌の字余りを説明するいちばんの原則がこれである。百人一首の歌はぜんぶ当てはまってるんじゃないかな。

句中の母音字が字余りの条件だというのなら、それはなにか古代の発音の流儀に関係しているのではないか?ということで、字余りと古代の音節との関係にまつわる研究が昭和になっていろいろ発表された。

それらの研究の鍵になる発想は、要は「語中の母音音節が直前の音節と一体化して発音された」という仮説だ。それで、「直前の音節と接触」して「不安定な状態に」なるとか(橋本進吉)、「先行音と一緒になってシラビーム的な一音節を構成する」(桜井茂治)などということが主張された(ただ名前を挙げたどちらもまだ直接読んでないので悪しからず)。

この「古代語はシラビームだった」というのはちょっと前の日本語関連の本にはよく出てきて、なんだよそれとか思うのだけどちゃんと説明してあるいい本はまだ見つけていない。が、直前の音節と一緒になって融合してしまうという話で、まあ字余りの問題を片付けるのに便利だったので人気だったのだろう。

しかし、これらの「母音融合説」は「字余りしてるけどこの説なら字余りじゃないことになるよ」というだけで、和歌の字余りにまつわる現象をすべて解決してくれるわけではない。たとえば、字余りは起こる場合と起こらない場合とがある。「こぞとやいはん」「ことしとやいはん」は文の構造としてはまったく同じだが、後者でのみ字余りが起きている。じゃあ字余りは任意だったのか、となるとそうでもなくて、じつは万葉集の結句はほとんど義務的に母音字を含む句が字余りになっている、といった現象がある。

古文の文法の説明で以前から僕が(勝手に)重視しているのが、「その説明で古文が書けるか」だ。母音が融合するとかシラビームだとかは結果の説明には使えるが、それにしたがって作歌すると万葉集や古今集と同じような調子になるかというと、どうもそれだけでは足りない。

それで、字余りの原則は和歌の詠唱法にもとづく必然だったとするのが、前回も紹介した坂野信彦の『七五調の謎をとく』(1996、大修館書店)と『古代和歌にみる字余りの原理』(2009、星雲社)である。上記に書いた字余り研究の概要は後者の「字余り研究小史」によっている。

うう、また長くなったので続く。