2011年12月2日金曜日

松阪に行ってきた(続き)


6:00 に起きて朝食。

8:28 松阪 (近鉄特急京都行) 10:20 京都。

京都は都会だ。京都から地下鉄に乗って京都市生涯学習総合センター(京都アスニー)へ。同じ敷地内に京都市立図書館がある。風俗博物館が「平成22年12月1日より約1年半休館」なので、その一部の展示がここに来ている。

期待して行ったけど、一フロアの特別展示室という感じで、ちょっと小さかった。平安京のジオラマと、「紅葉賀」の青海波のシーンがミニチュアで再現されたもの。参考にはなったけど。それにしても、青海波の場面は説明してくれたけど、ずいぶん忘れてるのかなあ。細かいところは「そんなのあったっけ」という感じだった。情けない。読みなおそう。

館内にはボランティアの説明員たちがうろうろして、来館者に話しかけては講釈をする。一人旅だからこちらも話し相手として慰めになるけど、ボランティアと聞くとなんだかうら悲しくも思う。京都の歴史や古典には(僕を含め)アマチュアがわんさかいるのだ。かれらは自分たちの話をしたくてしょうがない。それで定年後、ここで話し相手を漁るわけだ。なんだか自分が惨めに思えてきたよ……。ともあれ、東京の人間には京都市や平安京の大きさがわかりにくいという話などをした。

さて、枕草子に、碁盤の上に乗ってひとりでうんうんと苦労して格子を上げる場面がある。いままで僕はあれを、たまたまひとりだったからの臨時的な作業だと思っていた。つまり、ふだんは格子を上げる女房たちが、道具かなんか使ってひょいと上げるのだと思っていたのだ。ところが、ここのボランティアの方いわく、毎日毎朝ふつうに碁盤に乗って上げていたのだと説明する。僕は聞き返してしまった。ほんとうかなあ。なんだか行儀悪く感じるんだよなあ。正直なところ、この話はまだあまり信用できていない。毎日やる仕事なんだよ? 清少納言は碁盤運ぶのに、ひとりだからというのはあるけど、あんなに苦労してたじゃん。だいたい、碁盤に乗って上げるというのは(たぶんだけど)枕草子のあの箇所にしか出てきてないんじゃないかな。上げるのに道具のひとつもないというのも疑問を感じる。

牛車と引く牛について。牛は真っ黒なものを想像していたが、じつは黒地に白まだらの牛があって(もちろんホルスタインではない)これが珍重されたという。小笠原だかどこだかでいまでもいるらしい。見に行きたいな。これは知らなかった。乗るときは、脇に立つ従者が車の御簾を上げる。降りるときは、牛を離し、踏み台のようなものを出して前から降りる。源平盛衰記に、木曾義仲が車は後ろから乗って前から降りるのを知らなかったという話があるという(平家物語にもあったかな?)。

帰りはそのへんで蕎麦食って二条駅から地下鉄で京都へ帰る。観光はじゅうぶんにした。宣長だろうと式部だろうと、けっきょくは、古人はもう書き残された言葉の中にしかいない。観光地になっている旧跡を訪ねてみたり、当時を再現したセットを作ってみたりするのは、なにか、ほんとうにスパイス程度には想像に彩りを添えるが、そこには脈打って流れる古人の思考の現れはない。ときどき訪れて気晴らしをするにはいいけれども、最後にはまた言葉の中に潜って、書物の中に帰っていかなくてはならない、と思った。

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