2009-08-17

書籍の本文ができるまで

岩波文庫の『堤中納言物語』を見てみたら、これも『今昔物語集』同様「振り仮名は現代仮名遣いに改めた(本文の仮名遣いは原文通りとした)」となっている。仮名遣いが本文と振り仮名で違うなんてポリシーがいったいだれにとって嬉しいのか、理解できない。

古典を活字化するにあたってどういう表記方針を採るかというのに校訂者のセンセイ方が苦心しているのだろうというのは想像できるけど。

活字本の底本となる写本の仮名遣いというのは、じつは古語辞典の見出しを構成している歴史的仮名遣いとも違っている。歴史的仮名遣いというのはいってみれば語源をさかのぼって人工的に復元された仮名遣いであって、「い」「ゐ」、「お」「を」、語中の「は」「わ」といった仮名同士は、現実には慣例的な使い分けが実践されていたにすぎない。だから「ゆへ」とか「まひり給ふ」などと書かれている。これらは歴史的仮名遣いとしては「ゆゑ」「まゐり給ふ」となっているべきものだ。読者の便宜を図って仮名遣いを歴史的仮名遣いに統一するというのは、一方で底本の仮名遣いの状況という情報が失われるということを意味している。

また、仮名文学の文字遣いは現代語の感覚からするとかなり恣意的な代物だ。「するらん」を「する覧」などと書くし、「むつかしき」など形容詞の連体形の「~しき」を「~敷」などと書いたりしている。というかそっちのほうが普通みたい。それでいて名詞や動詞など、現代語では漢字で書かれる多くの自立語のほとんどは平仮名で書かれている。漢字と平仮名という独立した別の文字体系を混在させて使っているという意識ではなく、仮名を中心に表音的に書いていくやりかた全体が「女文字」というひとつの書記体系を形成しているというほうが適切なように思われる(こういう言い方は自分でも小松英雄の影響が強いなとは思うけど……)。送りがなだって現代語のように活用語尾が変わるところで送ったりなんてしていない。「のたまふ」は「の給」、「たまひけむ」は「給けむ」と書かれたりする。これを統一すれば原典でのありさまはわからなくなるが、かといってそのままでは現代人にはおそろしく読みづらい。句読点のこともある。

  • 変体仮名の統一。
  • 句読点を打つ。
  • 仮名遣いを歴史的仮名遣いに統一。
  • 仮名の一部を漢字表記に。
  • 当て字や助動詞などを仮名表記に。
  • 送りがなを補う。

こうした作業を加えた結果できあがるものが現代の書籍版古文の本文なわけだ。

個人的な好みからすると、僕は底本の文字遣いを振り仮名から復元できる新日本古典文学大系の翻刻方針がいちばんしっくりくるな。笠間文庫の『枕草子[能因本]』のように、「ん」「なん」で表記されている助動詞を「む」「なむ」に統一したり、「なめり」「たなり」とあるのを「なめり」「たなり」と作ったりするのは、ちょっとやりすぎに感じる。

それはおいておくにしても、本文を歴史的仮名遣いに統一しておいて振り仮名を現代仮名遣いにするのはどう考えてもおかしいよねえ。それなら本文も現代仮名遣いにしちゃうほうがまだ筋が通っている。

2009-08-13

けりがつく

ものごとが一段落することを「けりがつく」っていうけど、この「けり」って、助動詞の「けり」だったのね。知らなかったよ!

けり
『―がつく』『―をつける』結末がつく(つける)。▽平曲(へいきよく)など語り物で、話を「そもそも」で起こし、一段落した所に助動詞「けり」を据えたことから。「鳧」とも書いたが、当て字。

(『岩波国語辞典』第六版)

平安時代からこのかた、物語は「むかし某ありけり」といったようにこの「けり」を用いた文ではじめられ、そして「となむいひける」などといった「けり」のついた文で終わるのがひとつのフォーマットだったのだ(日本古典文学大系 9「竹取物語」解説)。

2009-08-10

須磨源氏

やっと「須磨」を読み終えた。

須磨源氏などという言葉があるが、たしかにここで頓挫する人は多かろうと思った。

すま げんじ【須磨源氏】 源氏物語が長編であるため、須磨の巻(第十二帖)あたりで読むのをやめてしまうこと。また、そうした人をからかっていう語。(『大辞林』)

「須磨」の巻は、源氏が左遷され、巻名にある須磨の地に隠れるというところなのだが、その須磨へ下ったり、下ってどうしたということについては、ほとんど記述がない。圧倒的大部分を占めるのは須磨に行く前の源氏の挨拶回りと、須磨に着いた源氏の京の人々との手紙のやりとりなのだ。読者からすると、あちこちに挨拶に行っては「このたびは……」みたいなことを言い合うくだりが延々と続いて、源氏はいつまでたっても旅立たないという印象を受ける。やっと出かけたかと思うと、肝心の須磨の地については行平の故事や歌枕をちりばめた常套句が並ぶばかりで、描写としてさっぱり現実味がない。そしてその須磨の地で、源氏はせっせと京に「あはれ」な歌を書いて送るのである。ここでは須磨の地は具体的な場所ではなく、もはや「流された人のいるところ」という意味の記号でしかない。

ストーリー的にもここは動きが少ない巻で、同じくらいの分量で「葵」みたいなダイナミックな筋運びをする巻を読んでしまっていると、正直この巻は退屈だ。歌について考えるときにはいろいろ示唆的な巻だとは思うものの、お話を楽しむという現代的な読み方からするとちょっときついところだと思った。

2009-08-06

心ことにこまかなりし御返

姫君の御文は、心ことにこまかなりし御返なれば、あはれなること多くて、

浦人のしほくむ袖にくらべみよ波路へだつる夜のころもを

(「須磨」新日本古典文学大系『源氏物語(二)』、p. 26)

源氏が須磨に流されて方々に手紙を書く。藤壺や朧月夜たちからも返事が届く。紫上(「姫君」)からも返事が届いて、というところ。脚注を見ると「格別に愛情をこめて書かれていた源氏の手紙への御返事なので」となっている。「心こまか」なのは、文で直後に続いている紫上の「御返」なのではなくて、もとの源氏の手紙なのだ。「心こまかなり」となっているからそういうことになるのだろうけど。

2009-08-03

古文を書く

前回引用した出雲路修著『古文表現法講義』という本は、これまで取り上げた種々の本とはすこし趣向が違っている。これは古文を読むことについての本ではなくて、書くことについての本なのだ。同書の冒頭から一部引用する。

物語を作ってみましょう。

物語というのは、《竹取物語》や《伊勢物語》や《大和物語》や《落窪物語》や《源氏物語》や《堤中納言物語》、といった、あのものがたりのことなんです。

「物語を作る」ということを、この講義は目指します。「平安時代の物語を作ってみよう」ということです。

(中略)

この講義で私たちがめざしているのは、平安時代の物語文化のなかに生きていた人々に「物語」として享受されうる言語表現を、実践することなんです。それをかんたんに「平安時代の物語を作ってみよう」と言っているわけです。平安時代日本語実習といったところです。

じっさい、始めてみればわかることなんですが、平安時代の物語めいたものを作るのは、そんなにむずかしいことじゃありません。古語辞典と簡単な文法書とがあれば、だれにでもすぐにできます。

いままでにこの講義と同じような内容の講義を何度かおこなってきました。そのときの試験の答案があります。力作ぞろいで、私はわくわくしながらよんだのですが、そのうちのいくつかを、今回の講義ではとりあげて、鑑賞し、添削めいたこともしてみたいと思っています。引用した答案は、ほぼ原文のままなんですが、かなづかいの誤り・活用の誤り・現代語の混用など、ケアレスミスと思われるものは、すでに訂正してあります。私自身もこういったミスがひじょうに多いので、ここを非難されたくない気持ちは十分に理解できます。ケアレスミスはまず除外して考えてゆきます。

(出雲路修『古文表現法講義』岩波書店、2003年、p. 1-2)

同書は著者が2001年から2002年にかけて大学でおこなった講義の記録をもとにしている。

古文といえば自然「古きを知る」という受動的な面に重きが置かれがちで、それを「書く」というと、すでに通用しない言語を使ってなんの意味があるのかという疑問も湧くかもしれない。けれども、たとえ実際に自分で擬古文を書くことはないとしても、書き手が「どうしてこういう文を書いたのか」ということを了解するためには、古文を書くときの思考の手続きというものを考えないでは済まされないものではないかと思う。自分ならこう言いたいときにはこう書く、という認識なしに、他人がこう書いたのはこう言いたいからだ、ということが正しく把握できるはずがない。それに、「知る」だけなら現代語訳でもいいわけだしね。

この講義のなかでは平安時代の物語の持つ特質について述べることもしてゆきます。私たちのめざす物語(けっきょくは空想の世界のものなんですが)をもう少しはっきりさせようということです。言ってみれば、どこにゴールすればいいのかといったことや、ゲームのルールの確認なんです。こういったルールの確認が必要なところが、現代文ではない古文の表現法の特徴なんです。

(同書、p. 2)

書いてみることで、あるいは少なくとも同書に載っている人たちが実際に書いた擬古文を読んでみることで、あらためて明らかになるような現代語と古典語の違いというのもある。たとえば、古文には出てくるが現代人が書いた擬古文には出てこない語句や言いまわしに気付いたり。係助詞「なむ」あたりはなかなか現代人には出てきにくいらしい(そりゃそうか)。推量や疑問を述べる場面で選択される表現も傾向が違う。おもしろい。

違うというのを言い出すと、現代の学生どころか、本居宣長の擬古文だって本物の古文とはどこか違っているわけだけど。

「物語」を作るにあたって、既存の歌を導く形で創作をするというアプローチもおもしろい。もちろん理想をいえば歌も自分で作れれば言うことないのだが、その前にこういう形で散文から入っていくのは、現代人にとって歌を理解するのにかえっていいのかもしれない。

まあ、そんな堅苦しいことを言わなくても、古文で遊ぶというのはおもしろそうだし、みんなもやってみるといいよ。

2009-08-01

デザイン変更。ようやく Blogger のテンプレートに手を入れた。本当のことをいうと、いままでのデザインはどうもあちこちだらしなくて好きじゃなかったのだ。おそらく IE6 ではたいへんなことになっているだろうけど、すみませんもう勘弁してください IE8 にアップグレードしてください。

なにせ字の多いサイトなので、本文の領域はこれくらい増やしたくらいでちょうどいい。それと、背景色を変えて引用部がわかりやすいようにした。偉大な先人によるあまたの著作に大きく依存しているブログなので、それらの引用が愚昧な拙文と見かけだけでも紛らわしくなってはいけないと思ってのこと。